日和山の竹あかり   維新150年記念

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年が変わってしまいましたが、2018年の秋にこのようなイベントがありました。

日和山公園は下関で最初にできた市の公園です。

その公園にふさわしい人物の銅像を作ろうということで選ばれたのが、高杉晋作でした。
最初は銅像でしたが、戦時中に金属供出で姿を消しました。
それで、今は備前焼きの陶器の像となっています。
そして、功山寺決起前に大庭伝七あてに書いた遺書にある、「自分は死んでも、赤間関の鎮守となるつもり」という言葉をイメージしたのでしょうか。
今も、海峡を睨んで立っているその姿は、まさに神々しい立派な姿です。
熊本の竹灯りデザイナーの「ちかけん」さんのプロジェクトです。
日和山公園の晋作像のまわりが竹あかりで輝くのが、今か今かと待ち遠しい時間の流れ・・・

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夜の帳が次第に降りてきます。


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竹に掘られた模様が美しい!



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武田菱の家紋まで作ってくれたなんて、心憎い

フィギュアの晋作くんもさりげなく登場!

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さてこの日は、地元の「日和山愛護会」の皆さんによる、いろんなイベントが行われました。その中で、大変不思議なことが起こったのです。


それは、まさに「高杉晋作と野村望東尼」のお話が終わったあと、筑前琵琶奏者の「大師範 東旭秀先生」の演奏の時に起こりました。


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これは、リハーサル時ですが・・・
「あぁ 野村望東尼 〜姫島より〜」という曲をご奉納することになっていました。
リハはバッチリ!
昨日、一番太い絹糸の弦を張り替えられて臨んだ東先生。
「心を込めて演奏します。高杉さんに聞いてもらえるかな?」と本番前におっしゃっていたのです。
そうしたら、なんとなんと! 最初の小節「ベーン」と弾いた瞬間に、1本の弦がバチッと切れたのです!  「あーーーー!」   私を含め、周りのスタッフがみんなパニックになりました。
でも、さすがの先生、「ちょっとお待ちください」と言って舞台上でささっと弦を張り替えて、もう一度最初から。
そうやって無事、ご奉納をしていただいたのです。
後から聞いたのですが、 先生の長い演奏歴の中で、張り替えたばかりの弦が一発で切れるなんてことはなかったそうです。
下でご覧になっていた人たちも、私たちもみんな思いました。
「高杉さん、来てる! 自分の存在を知らしめたのね〜」


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お天気に恵まれ、ライトアップされた晋作さんと、海峡ゆめタワーと、その間に綺麗な月
こんなに素晴らしい日和山公園は初めてでした。
維新150年の記念の年に、日和山で素敵なイベントに参加させてもらったこと。
ありがたく、忘れられない一日となりました。
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追記:
日和山公園の晋作像の足元には、望東尼ゆかりの「姫島の石」があるのです。
そこには、平尾山荘に匿われた晋作が、望東尼から手縫いの着物をもらった、その時の和歌が書かれた記念碑もあります。
  まごころをつくしの衣は国のため
       たちかえるべき衣手にせよ


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この像の着姿は、まさに町人風に変装した晋作。
望東尼から頂いた着物を着ている、と言われています。
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平成31年は亥年

あけましておめでとうございます。

1月3日に、萩に行きました。
必ず道の駅・萩往還によります。
松陰先生と高杉、久坂の双璧の像があります。


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着きました! 松陰神社。
今年は亥年ですが、なんと晋作さんは亥年です。
毎年の、神社入り口のおおきな絵馬。
今年は、シュッとした絵ですね。

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構成と作画は、萩市立萩東中学校美術部だそう。
社務所で販売している絵馬も同じ柄で、こちらは飾り絵馬です。
私は普通の絵馬にお願い事を書き、この飾り絵馬はお友達のも含めて5枚購入!
松陰神社で初めて見た、行列。

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留魂録が納められている、至誠館の前の池。
石を並べて、迎春の文字。

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並んでいる間に、絵馬を買ったのですが、ネイビーのコートの後ろ姿が私。
その私の左右に、不思議な緑の光✨
わかる方はわかりますか?
松下村塾の門下生の皆さんでしょうか


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長蛇の列を並ぶこと、30分。
本殿のお参り終わって、引いたおみくじは小吉でした。
次に向かったのが、松陰神社の隣にある、松門神社です。
ここは、高杉晋作はじめ53柱を合祀しています。
松陰先生の獄中フレンドで、三宅島に遠島になった沼崎吉五郎の名前もありました。
松陰先生から預かった「留魂録」を襟の中にかくしもっていたといわれています。
沼崎は明治7年に赦免されて、明治9年に神奈川県令となっていた野村靖を訪ねて留魂録を渡しました。野村がその留魂録を夢中で読んでいるうちに、この老人はひっそりと姿を消したといわれています。
現在、その至誠館にある留魂録こそが、その沼崎が所持していたものです。

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そして、松門神社の入り口の側には、ひっそりと萩の乱の碑があります。


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「明治9年萩の変 7烈士殉難之地」碑。
前原一誠、佐世一清、奥平謙輔、有福恂允、山田穎太郎、横山俊彦、小倉真一の7人です。
この碑は昭和51年の百年祭にあたり、萩市恵美須町の刑場跡に建立されました。
その後、平成18年にこの松門神社の現在地に移建されたものだと書いてあります。


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「至誠」
松陰先生そのもの。
「命をかけて貫くまごころは、限りなく多くの人々を感動させる」
新しい年に、改めて心に響く言葉でした。
 

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高杉晋作の灯る夜/下関市日和山公園

 今年は、明治維新150年。

ということで、下関市でそれにふさわしい企画の公募が行われ、幾つかの団体がイベントを開催することになりました。
その一つとして、「日和山愛護会」という方たちが企画した、こんな素敵なイベントが行われました。平成30年10月13日(土)のことでした。
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これは、熊本市在住の竹あかりアーティストの「ちかけん」さんが、日和山の晋作像のまわりを竹灯篭でライトアップするというもの!
ちかけんさんは、日本にとどまらず、今や世界にも飛び出していかれるほどの人気の竹あかり創造デザイナーです。
このイベントで、晋作の講話と筑前琵琶の演奏など、色々な催しが行われました。
私が担当したのは、Part1で「互いに命を救った、高杉晋作と野村望東尼」という講話。
それと、Part2で「日和山公園と高杉晋作像」という講話です。
日和山公園は、下関で初の市の公園として作られました。この場にふさわしい人物の銅像を建てようということになり、選ばれたのが、高杉晋作でした。
それが、昭和11年、晋作70回忌の時のことです。

蛇足ですが、私の母が小学1年生で、近所の子供たちみんなで、日和山公園に運んだという思い出があるそうです。手押し車にその銅像を寝かせて、紅白のロープで子供たちが引っ張って上まであげたという状況。なんとまぁ、驚きです。
しかし、戦中の金属供出の犠牲となり、昭和18年、銅像は姿を消しました。
再建されたのは、13年ぶり、昭和31年のことでした。
そして2代目の現在の像は、金属ではなく備前焼きの陶像となっているのです。

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そして、この長羽織の姿は、江戸時代流行っていた町人のスタイルなんですが・・・
実は、筑前(今の福岡)に亡命した際に、野村望東尼から変装用にと渡された着物だったのです。

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「まごころをつくしの衣は国のため
 たちかえるべき衣手にせよ」
晋作のために、望東尼が夜もすがら縫い上げた、というまごころを尽くした着物だったのです。
そして、その歌の句碑が、この晋作像の足元にあります。

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この句碑がいつ、誰によって設置されたかはわかりません。
そして、望東尼が島流しにあった姫島の石も、一緒に置かれているのです。
日和山公園は、まさに晋作と望東尼二人の物語が残る、知られざる史跡だと言えるでしょう。

さて、その日和山公園に、ちかけんさんたちのキビキビしたセッティング。晋作さんの周囲が見たことない景色に変わっていきます。リハーサルをしている時は、まだこんな感じでした。

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昼間から夜にかけて風も全くない、穏やかな天気でした。
風が少しでもあると、譜面がめくれてしまうという先生の心配をよそに・・・
全然大丈夫。天気もイベントに味方してくれています。
そして
次第に夜の帳が降りてきます。
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実に美しい夕景となりました。
そしてついに点灯式が行われ、今まで見たこともない幻想的な景色にお客様もスタッフもみんな驚きです。

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そして、この幻想的な灯りのステージ上では、大師範・東旭秀先生による筑前琵琶の奉納演奏が始まります。
ところが!   「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」が演奏されたのですが、最初のベン!というバチを鳴らした瞬間に、弦がプツンと切れてしまいました。
 昨夜、一番太い弦に張り替えたばかりだというのに! 先生自身も、私も、みんな衝撃でした。そんなことはあり得ない・・・
しかし、会場の皆さんも感じました。「高杉さんが降りてきた!」
まさに、そういうことなんです。
これは、リハーサルの時の東先生なのです。
「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」という曲は、毎年、望東尼のご法要の際に、筑前琵琶・旭会の皆様から奉納される曲です。

勤王の志士たちを匿う、平尾山荘の女丈夫・ 野村望東尼。
そこに集う志士たち。しかし、晋作を匿った罪で、彼女は島流しにあってしまう。
遠島になってやく10ヶ月。三反帆の早船一艘、玄海灘の荒波をかき分けて、望東尼救出部隊がやってくる。6人の志士たちによる救出劇。 それは、「長州高杉氏の使いにて」という、感動的な物語が語られます。

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東先生と私の出会いも、数年前の平尾山荘の法要の時からでした。
その先生と初のコラボで、しかも、下関で! 語りと琵琶をご披露したのですが、まさか高杉さんのご降臨をいただけるなんて、感激して涙が出たことはいうまでもありません。 一生忘れられない思い出となりました。

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この日の高杉さんは、お釈迦様のようにも見えました。
そして、銅像と、海峡ゆめタワーと、眼下に広がる海峡の夜景。
それに、三日月と星が上空高くに輝いて、こんな美しい絵巻物を見たことがありません。 それくらいに感動的な夜でした。

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日和山愛護会の皆様の企画、大成功でした。
お客様も500人超えだったようです。
これから先も、この日和山の歴史が語り継がれていくことを、願いたいと思います。
ちかけんさんも、竹灯篭を作ってくれた地元の皆様も、お疲れ様でした。
本当に 素敵な竹あかりでした。
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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2018年博多祇園山笠の飾り山に!

博多祇園山笠の季節です。

本番7月14日を前に、市内14箇所で飾り山や舁き山が見られます。
元々、疫病で苦しんだ博多の人たちが、災い封じとして始めたお祭りです。戦国時代が終わって焼け野原になった博多の街を復興した、太閤秀吉に感謝して、飾り山の題材は「太閤秀吉」、また黒田52万石を与えた幕府をリスペクトして「関ヶ原の合戦」など、そういう戦国時代ものがメインです。
ところが、今年のラインナップに「おぉ!」と思うものがありました。
千代流れの飾り山です。


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ここに書いてあるのは、「維新回天 石堂橋」
維新はともかく「回天」とは、どこかで聞いたような・・・
そして、石堂橋という地でのエピソードとは?
早速出かけてみるのでした。
場所は、福岡市博多区千代の地下鉄・県庁口のところです。
あぁ〜!やっぱり! すごい
もう興奮です。
まさに、高杉晋作と野村望東尼ではないですか!
幕末!しかも高杉晋作をメインにしたこのテーマ
長い祇園山笠の歴史の中でも、初? なのではないでしょうか
今年は、「維新150年」ということで、制作に至ったようです。

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書かれている文章は
二番山笠 千代流
飾山 見送り 『維新回天 石堂橋』
 今年は維新から百五十年となります。
幕末・元治元年、馬関戦争のあと、四カ国講和の長州方の代表だった高杉晋作は、幕府側と過激攘夷派から命を狙われることになります。そのため高杉は福岡藩の勤皇志士の勧めで福岡城下に逃れました。上鰯町(今の須崎町)にある、回船問屋の石蔵卯平宅に匿われました。ここで、筑前の月形洗蔵や早川勇という人たちと出会います。
その後、平尾山荘の野村望東尼に匿ってもらいます。
平尾山荘にいたのはわずか10日間。そして、平尾を出て、今の呉服町あたりに潜伏先を変えます。
今の千代町にあった水茶屋に潜伏し、このとき博多へ入る為に石堂橋の関所を通らなければならなかった高杉は一計を案じます。
 そこで遊んだ商家の若旦那を装い、幼女をおぶって、幼女の袖で顔を隠して関所を通過したのです。
 



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お人形はこんな人たちが配置されています。

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まず晋作さん!
芸妓をおぶって関所破りをして石堂橋を渡ったと解説してあります。
これはちょっと違うので、後でまた。

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お次は、なんとも若々しく色っぽい望東尼様
平尾山荘も、歌舞伎の舞台みたいです。

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この高杉晋作、筑前潜伏の物語は、元治元年(1864)11月のことです。
元福岡藩士の江島茂逸という人が書き残した、『高杉晋作傳入筑始末』という本があります。
それによると、晋作は11月10日から21日まで、平尾山荘に潜伏。
その後、石堂橋の新茶屋「若松屋」に入る。ここで、月形洗蔵を待つが、彼は来なかった。五卿の太宰府移転などの問題で手間取り、なかなか忙しかったのである。
そこで、山荘で高杉の身の回りの世話をしてくれた瀬口三兵衛が、若松屋の提灯を持ち、高杉は若松屋の半纏(はんてん)を着て、5〜6歳の幼女をおぶって柳町遊郭に行く。
とあります。
なので、「芸妓をおぶって」という説明、が惜しい!


これは、遊郭があった柳町あたりの古写真です。
晋作は、このあと宗像の早川勇を訪ねたりして、11月25日に下関に戻ります。

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晋作が博多にいたのは約20日間ですが、筑前藩士や博多商人たちに守られ、餞別や軍資金までもらって、帰るのです。
博多ですっかりリフレッシュした後に、功山寺決起へ向かいます。
彼の輝かしい偉業の陰には、こうした筑前の人たちがいたことを知ってください。
維新150年の今年、こうして博多祇園山笠の飾り山のテーマになる
なんと素晴らしいことでしょう!
高杉晋作と野村望東尼の物語を取り上げてくださって、千代流さんには深く深〜く、感謝申し上げます。
千代流の飾り山は、博多人形師の川崎修一さんの作品です。
15日には山解きといって解体されるので、ぜひとも本物を見てほしいと思います。
場所は、福岡市博多区千代  地下鉄「千代県庁口」を降りてすぐです。



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語り芝居「おもしろきこともなき世をおもしろく  望東尼・想」

久しぶりにブログを書きます。

今まで、ツアーや150回忌やfacebookなどで、こちらは暫く休止していました。
備忘録として、ブログを書いておくことにします。
2016年の夏に、初舞台。
七色の声で人物を演じ分ける、俳優の岩城朋子さんと始めた
語り芝居。2年目で11回の公演をすることができました。
こちらが岩城朋子さん。
高杉晋作、久坂玄瑞、野村望東尼、おまさ、おうのなど
老若男女14人の声で演じます。
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公演をしたのは、下関市、福岡市、山口市、萩市、糸島市、防府市。
ちなみに私は、お芝居の前説と後説を担当しています。
その土地でのエピソードをなるべくご紹介するようにしているので、
毎回勉強が必要
そして、2018年10月7日、ついに姫島での公演が決まりました!
島の皆様全員に、観て頂きたいと思っています。
場所や詳細は未定ですが、またお知らせしますね。
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こちらは、先日の防府公演でスライドショーをした時の一枚。
防府望東会の皆様も初見だと言われた、望東尼の肖像画です。
これは、昨年福岡筑紫女学園の同窓会で公演をさせて頂いた時に
現役の先生から教わりました。
作者は石橋禾月(かげつ)。その先生のご先祖様だということです。
優しく穏やかながら、凛とした望東尼の雰囲気がよく伝わりますね。
望東尼のことは福岡の方も知らない人が多い。
でも、彼女のことを知ると、みんなファンになるのです。
幕末に命をかけて志士たちを守った望東尼。
彼女自身も、志士でした。


憂き雲のかかるもよしや 
もののふの
大和心のかずにいりなば
「私の身に何か不穏なことが起きようとしている
 でもそれならそれでいい 
 志あるもののふの数に自分も入るならば」
私の一番好きな歌です。

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お正月の松陰神社と東行庵

 あけましておめでとうございます。

ついに2017年がやってきました。今年は晋作没後150年です。
1月3日、今日は萩の松陰神社と東行庵にお参りすることに。
まずは、萩に向かいます。
萩の町に入る前に、道の駅「萩往還」に寄ります。
お約束の松陰先生と弟子たちの像にご挨拶。

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最近仲間うちで人気のある、山田市ィ。
お隣は弥次さん。

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さて、松陰神社の今年の絵馬は入江九一。
お正月で紅白幕が張り巡らされており、ちょっと写真が撮り
づらい。
毎年、市内の学生さんが描いているんですよね。
私の入江九一のイメージとかなりかけ離れてましたが、
この案内板によれば、実弟の野村靖の写真からイメージ
しているらしい・・


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本殿の前はたくさんの人が行列していたので、先に
松門神社にお参りすることに。
うっかりしていましたが、ここは前原一誠の史跡でも
あります。


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そして、松門神社の立て札の裏面には、この神社に
祀られている方々の名前の一覧があるのです。


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余談ですが、私が長州一のイケメンと思っている、
妻木寿之進の名前もありますね
さぁ、そして今回の旅の目的でもある、至誠館の企画展
前原一誠殁後140年記念「前原一誠と萩の変」に向かい
ます。
至誠館の前には、こんな演出が!
石を並べた「頌春」です。


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至誠館は松陰先生の「留魂録」のために作られた資料館ですが、
今回の書簡の中、先生の「士規七則(しきしちそく)」が目に留まり
ました。日本人として、武士としてのあり方を書いたものです。
三つの教えを基軸にしていますが、その三つというのは
「立志」  志をたてるということ
「択交」  良き師友と交流し、人格を磨くこと
「読書」  多くの本を読み、古の聖人たちの教えをうけること
これは今でも言えることですね。
さて、前原さんの遺品としては、北越戦争でもっていた
地図、それから、家族に宛てて書いた遺書、キセルか何か
に入れて持ち運ぼうとしたのでしょう。細長い紙に書かれて
いたものなど。
両親と奥さん、愛妾の秀さんに書かれた遺書は、本人の
真筆を見て、とても切なく思えました。
そして、萩の獄では、当時の山口県判事の関口隆吉が
手厚くもてなしたこと。
ある本で読んだことがありますが、関口が処刑の前夜に
「明日でお別れとは本当に忍びない」と言ったところ、
前原が「では一緒に死のう!」と返したそうです。それに
対して「いや、それは!」と慌てた関口を見て、大笑いを
したとか・・・
そのエピソードは、死ぬことが武士にとって非日常ではない
といえ、無念の前原が全てを観念して腹をくくった姿だと
とても印象強いものとなっています。
昨年の2016年が、萩の変より140年なのです。
それで、下関の桜山神社ではやっと前原一誠が合祀され
ました。昨年の8月のことです。
そして、今日、こちらの青田宮司にご挨拶ができまして、
なんと、松陰神社での140年記念の資料を頂戴しました。
大感激でした
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さて、萩はここまでで、次は東行庵にお墓まいりです。
昨年の4月の東行忌以来、久しぶりの東行さんです。

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昨年、150回忌の記念として、墓碑銘の記念碑が
建立されたのですが、そちらも改めて。
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墓碑銘の寄稿文を書かれた古川先生は、この
3つの肩書きが、晋作の全生涯を言い表していると
言われました。なるほど、です。


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これで、今日の行程はすべて終わりました。
でも、会いたい人たちにも会えましたし、とても良い
お参りができました。
今日のお土産は、とても大きな「鬼ほっぺ」という
萩産のイチゴ。
甘酸っぱい味は、もう春の味わいでした。

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野村望東尼150回忌 〜2017年晋作伝プロジェクト・筑前ツアー

2016年11月6日は、望東尼様の150回忌でした。

150回忌を記念して、全国から寄せられた寄付をもとに、
素敵なレリーフが完成。除幕式と法要に参加するツアーを
催行しました。

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平尾望東会の会長、そして、作家の谷川佳枝子先生、元福岡
市長の吉田さんによる除幕式です。


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なんと、高杉と望東尼の別れのシーンで、手縫いの着物に
添えらえた和歌が刻まれたレリーフでした。


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この碑に文章を書かれた谷川先生の言葉が印象的でした。
「これからこの平尾山荘は、望東尼ファンだけでなく、全国から
晋作ファンも来てくれる史跡になりました。」
本当にその通りだと思います。


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ツアー参加者みんなで記念撮影。
この碑の裏には、募金をした人の名前が刻まれていますが、
何人もの仲間が、「自分の名前が刻まれている」のにも感激!

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さて、法要は午前で終わりましたので、中洲に移動して
「大阪屋」さんでランチ。
そこでは、博多券番さんのお座敷遊び付きです。
晋作さんが筑前から馬関に帰る前に、やはり博多の
柳町遊郭で遊んで帰ったということで・・・
皆さんと、博多の「粋」を楽しみました。
桜子さん

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お座敷遊びは、「こんぴらふねふね」をリクエスト。
晋作さんが大好きだった歌です。
歌に合わせての勝負!
負けたら、お酒を飲むか、脱ぐ!
ツアー仲間はほとんど負けました。
でも、お一人券番に勝った人もいました


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地方の司さんと、はと奴さん。
はと奴さんのお声がとてもよかったです。

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そして、記念撮影。
この晋作伝ツアーは、芸妓さんがお約束、のようにも
なりました。2013年には、長崎検番さんat花月。
そして今年の春は嶋原太夫でしたしね

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楽しい時間を終えて、その後は博多の町歩き。
高杉晋作一行が上陸した須崎町の「石蔵卯平宅跡」
それから、博多の豪商・神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九の
屋敷跡などを通って、関所跡、柳町遊郭跡、そして高杉晋作
ジョギングロード(その通りを走って逃げたと言われる・・・)などを
みんなで歩きました。

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博多のあちこちにこのような電信柱の史跡ガイドがあるのです。
高杉さん関連は平尾山荘と、この博多区の呉服町界隈に
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このあと、日本最古の禅寺・ 聖福寺、加藤司書墓所がある
節信院などをお参りして、櫛田神社で解散となりました。
駅前の「道路陥没事故」が起きたのはその2日後でした。
あの近くまで歩いたので、すごくびっくりしましたね。
本当に、ツアーでは事故もなく、無事終わって何よりでした。
前日の夜は、岩城朋子さんの語り芝居 「面白きこともなき世を
面白く  望東尼・想」、そして、東えみ先生の筑前琵琶の演奏を
楽しんでいただきました。
望東尼様の150回忌、こうしてみんなでお参りできて、とても
有意義な二日間でした。
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2016年の総括その1〜高杉晋作150回忌〜

かなりブログ更新をお休みしておりました。

最近はfacebookの投稿ばかりでしたが、やはり記念として残る
ブログは書いておかないといけませんね。
今年2016年の1月1日に、「高杉晋作没後150年記念」の
HPとFBページを立ち上げたのでした。
ポスターはこんな感じです。
4月14日から17日までの4日間、下関市内で東行忌をはじめと
していろんなイベントを行ったのです。
私、記念事業の総合企画とプロデュースをさせて頂きました。
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4月14日はかねてから計画されていた、高杉晋作墓標記念碑の
除幕式、そして、「墓前で芸妓を集めて三味線をかき鳴らしてほしい」と
いう高杉さんの願いを叶えるべく、京都・嶋原から「葵太夫」をお迎えして、
舞を奉納していただくという二大プログラム! 150年にして、高杉さんの
夢が叶った日となりました。
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葵太夫さん、素晴らしかったです。
奉納されたのは「黒髪」という曲、逢いたいけど逢えない、別れた
人を思うせつない曲。まさに高杉さんへのご奉納にふさわしい。
約7分ちょっと、お墓の周りにはたくさんの人がいましたが、曲の
歌と時折鳴くウグイスの声のみが聞こえる、なんとも不思議な
空間となりました。
踊りを終えた葵さん曰く、「高杉さんのお墓の前でしたが、途中で
お座敷に高杉さんがお酒を飲みながら見ている姿が現れました。」
ですと! 高杉さん、喜んでくれたのですね
いつも通りの読経で始まる東行忌。今年は、高杉家ご一同のご焼
香がありました。こちらも初めてのことで、感激です。
これは庵の中での、オフショットであります。
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そして、みんなで撮ったショットはこちら!
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お天気にも恵まれ、素晴らしい法要となりました。
しかし! 
この朝の感激が醒めやらぬ、同日の21時26分、あの熊本の大地
震が起きたのでした。私は下関にいたのですが、福岡であった西方
沖地震を思い出すような嫌な予感がしました。
そして、1日おいて15日の深夜、マグニチュード7の本震が起きた
のです。その朝は土曜日。
この日は今回のイベントの目玉である「東行先生へのオマージュ」と
いう講演会とトークセッション。そして夜は「晋作ナイト」として、全国
から来てくださるファンとの懇親会の予定でした。
夜中の揺れに飛び起きた私でしたが、不安なまま迎えた、16日の
早朝です。
電話が鳴りました。
トークセッションのゲストである白石正一郎氏の子孫、白石明氏
でした。「地震被害により緊急の仕事に向かわなければならなく
なりました。今日の下関入りはキャンセルさせてください。」
地震は、ゲストのキャンセルだけではなく、当日、九州各地から来ら
れる予定だった晋作ファンたちも足止めという事態を引き起こしま
した。久しぶりの再会を楽しみにしていただけに、とてもショックで
した。
しかし、熊本現地はもっと大変なことに・・・
状況をニュースで見聞きするとその悲惨さに言葉がありません。
なんとか落ち着こうと自分に言い聞かせながら、ドリームシップと
いう現場へ向かいます。まだ何か起きるのではないか・・・
不安を覚えながらも、会場に入ってステージの看板を見たときには、
ちょっと 感無量でした。
リハーサルを終え、いよいよ開場。どれだけの方が来られるか心配
でしたが、なんとなんと、300人満員御礼でした。中には立って見て
おられる方もいたくらいです。
また全国から来てくれたお仲間が、受付までお手伝いしてくれました。
ありがたかった〜!
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吉田みどり保育園の園児たちと先生たちによる、「花の奇兵隊」の
踊りで幕を開けました。
次に、東京から駆けつけてくれた、熱血天使の山崎愛実さん、沖村
彩花さん、菅沼結花さんによる語り芝居のパフォーマンス。
その熱演は、会場の皆さんの感動をよびました。
続いては古川薫先生の記念講演、そして京都嶋原の司太夫の
「花街の四方山話」と題した記念講演。お二人のゲストのお話は
大変素晴らしく、またなんと 司さんの京舞が披露されました。
嶋原太夫のお座敷の舞が下関で見られるなんて、会場のお客
様もみんな大喜びです
「京の四季」という曲で、桂小五郎を匿った幾松が、新撰組の近藤勇
の前で踊ったというエピソードもある曲です。
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そのあとは、東行庵の庵主さま、そして歴史研究家の竹本知行
先生をお迎えして、下関総合図書館長の安冨静夫先生のコーディ
ネートでトークセッションが行われました。
ここに、白石さんが入られる予定だったんですけどね
さて、ドリームシップでのトークイベントが終わったあとは、シーモール
パレスに場所を移して、「晋作ナイト」のスタートです。山口県酒造
組合18社から、自慢のお酒を取り寄せて、晋作さんと一緒にみんなで
楽しもうという趣向です。
まずは、150回忌によせて、演武の奉納です。


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北は北関東から、南は鹿児島まで。
下関には何度も来てくれている、素敵な仲間たち!
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ナイトの中では、プロミュージシャンのJoker高広さんや
内田祥文さんの奉納ライブなどもあり、とても賑やかで
楽しい雰囲気のなか、無事終了しました。


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参加者の皆さんに差し上げたオリジナルの記念品。
長崎の波佐見焼でオーダーしたものです。
山口県のお酒もこれで楽しんでもらいました。

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翌日の17日は、西鉄旅行ツアーで、市内のゆかりの地を訪問。
何度行っても、みんなと一緒の史跡めぐりは毎回違う感動。
ご案内は、スーパーガイド平松資朗さんです。


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そして、このイベントの様子は、山口新聞で紹介されました。
「晋作の思い」だけど、みんなの思いで出来た、150回忌の
記念行事でした。
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その後半年遅れで、やっと記念誌も出来上がりました。
これは、地元の企業さま、そして全国のファンの皆さまからの
お志で出来た賜物です。
本当に、本当にありがとうございました。

未曾有の大地震もあり、波乱の150回忌となりましたが、
「晋作の夢 仲間たちの夢、 今を生きる私たちの夢」
まさに、バトンが受け継がれて、次の世代へとつながる
記念事業となったのではと思います。
関わってくださったすべての皆さまに感謝です。
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最後に・・・
記念誌は寄付をくださった方にお送りしたのですが、
下関市内の図書館、山口市図書館、萩市図書館などでも
閲覧できます。


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野村望東尼 150回忌に向けて

 高杉さんの150回忌の記念事業が、4月14〜17日までの4日間、 下関で 行われました。これについては、また落ち着いて書こうと思います。

そして、同じ慶応3年11月6日に亡くなったのが、望東尼さまでした。
今年の平尾山荘での法要では、高杉さんに着物を渡す、例のシーンを
デザインしたレリーフが完成して、その除幕式があるそうです。
高杉さんが平尾山荘に潜伏したのはわずか10日間。
しかし、この出会いが二人の運命を大きく変えました。そんな二人の
感動の物語を、「語り芝居」という形で演じることになりました。
女優の岩城朋子さんは、七色の声をもつということで、多くの物語を
一人で演じわけます。今回の脚本も岩城さん自身によるものです。
物語は功山寺決起からスタートします。高杉さんの人生のハイライ ト
シーンが多くの人との絡みの中で進行します。
ぜひ、ご覧ください。
Bweb
 初演は、なんと下関の亀山八幡宮で8月9日(火)18時からと
なっております。
主催は「海峡の裏町文化塾」  お食事付きで、参加費は5000円です。
塾長の大越清美さんまで、お問い合わせはお願いします。
090−3170−9119

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150回目の東行忌 / 平成28年4月14日(木)

  今年の4月14日は、高杉さんの第150回忌法要となります。今年の法要はスペシャルなことがたくさんあります。遺書に書かれた願いを150年目に叶えてあげたいという思いからです。元治元年12月の功山寺決起直前、高杉晋作は友人の大庭伝七にあてての遺書です。長文の手紙ですが、さんざんお世話になった大庭へのお礼も込めて、万感の思いでしたためています。


その後、長々とご無沙汰致しまして、恐縮しております。私も、
いまだ、自らの死に場所を得ることができず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知のとおり、両殿様(藩主父子)の御身に迫っている危難を思いますと、このような状況を招いた我々臣下一同、死をもってしても、余りある状況でございます。

先日、長府に出張した折に、一言も御相談申上げなかったことにつきましては、心に深く思うことがあったからなのです。ですから、何卒、悪くお思いになりませんよう、お頼み申し上げます。私も毛利家恩古の家臣ですから、今日に至って、士民(武士と民衆)を同一視するような気持ちは、これっぽっちもございません。このことは、兼ねてからご存知のことと思います。
讒言(ざんげん)により、長府公(長府藩主・毛利元周)も、私たちのことを、色々と悪く思し召されていることが、残念でなりません。さりながら、人生の事は棺(ひつぎ)のふたを覆った時に、はじめて定まるものだと申します。ですから今の段階で、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公(毛利元就)の血を引く正統な府公でございますから、たとえ、私を追討せよと仰せられたとしても、露ほどもお恨み申し上げたりはいたしません。とは言え、できることなら、私の思いを、私が生きているうちに、府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから、おいおい嘆願書を差し出すつもりでいます。
野々村君たちのことも、悪く仰せになりませんよう、お願い申上げます。私たちが長府城下を離れておりましたのは、長府公のことを深く思ってのことです。それなのに、この思いとは裏腹に、讒言を受けるにことにつきましては、甚だ遺憾に思っております。死んだ後でなくては、到底明白にはなるまいと、覚悟を決めた今の心境を、是非ともご推察頂きたく願い申し上げます。
私がもしも馬関で死んだなら、招魂場へお祭り頂けますよう、お願い申上げます。
私だって個人的な情愛を持たぬ人間ではございませんが、国家の大難が胸中を火のように焦がしているために、ついつい小事を忘れていたものとご推察頂けますようお願い申上げます。筑前以来お世話になり、また馬関へ帰って後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら、一言も申し上げず馬関を出ることは、無情のようではございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。
ご家族も、道理を知らぬ者と、私のことを悪くおっしゃっることと思いますが、私に代わってご弁解頂けますようお願い申上げます。また、筑前で、野々村から5両を拝借しておりますが、まだ返却できないでおりますので、その件につきましてもよろしくお伝え下さい。なお、御珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は、陣中の楽しみとすべく、勝手に持ち去りましたので、そのようにご承知頂けますようお願い申上げます。
前文でも申し上げましたように、赤間関の鬼となり、討ち死に致しますので、
別書の通り、墓碑を建てて頂けますよう、ご面倒ではございますが、お願い申上げます。井上小輔、三好大夫へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にも御無沙汰しておりますが、よろしくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死んでも、恐れながら天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。入江角次郎も御地へいらっしゃるとこのとですので、このことをお伝え頂けますようお願い申上げます。
私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らして、お祭り下さい。また、別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。



故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之助也

毛利家恩古臣高杉某嫡子也
月 日

売国囚君無不至 捨生取義是斯辰

天祥高節成功略 欲学二人作一人
国を売り君を囚(とら)え至らざるなし
生を捨て義を取るはこれこの辰(あした)
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作(な)らんと欲す
国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。
命を捨てて義をつくすのはまさにこのときである。
文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した明の謀臣)の策略と、
2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。

申し上げたことはございませんが、私は、あなたが誠の心をお持ちの方だと知っております。だからこそ、このようなことを申し上げるのです。御他言は無用に願います。もし、あなたが幽囚の身になるようなことがあれば、入江角次郎に、このことを伝えて下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。 伝七様 梅之助
墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件につきましても、お願い申上げます。また(□□不明)の内は、この書状を他人へ見せた場合、もはや、あなたのことを知己と思うことはできません。以上は、筑前で酔いつぶれ、ふと思い起こして認めたものです。 

大庭伝七様へ 谷梅之助

 

この遺書の赤字で記したところが、150年を迎えて実現します。

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詳細は東行庵のHPでご覧ください。

当日、その墓誌碑の除幕式、そして京都島原の葵太夫さんの

墓前での舞の奉納があります。

150年の今年、ぜひ多くのお参りをいただきたいなと

思います。

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