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7/2 松陰神社(東京)に行ってきました!

以前より行ってみたかった世田谷の松陰神社です。
出張で昨日から東京。お天気もよくて、ついてるな

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身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし大和魂

松陰先生の像は、ちょっとかわいい表情でしたよ。

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1859年(安政6年)10月27日、処刑された吉田松陰は
千住小塚原に罪人として埋められました。

高杉晋作始め松下村塾の弟子たちは、そんな先生の復権を
果たしたいと願います。
4年後にそれを実行することになりました。
場所は当時、長州藩の所有地であった世田谷若林の大夫山。


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秋山香乃著『晋作 蒼き烈日』で、私の一番好きな一節です。

彼らは松陰の新墓地となる大夫山についた。
そのとたん「あっ」と伊藤(博文)が叫ぶ。
晋作には伊藤がなにを叫んだのか、聞かずともわかる気がした。
見渡せば、ここはあまりに松下村塾のある松本村に似ている。
他の者も同じことを感じたようだ。まるで松陰の霊魂を故郷へと
召還したような錯覚が、そこにいる全員の胸を揺さぶった。
晋作らは棺を新たな墓地に納めた。
  
  往時を思うて英魂を慰せんと要す
  未だ小子よく旧冤を雪ぐを能わず
  墓下に回顧す、少年の日
  若林村の景は猶松村

晋作は師の魂へ高らかに一詩をささげ、墓前へ白梅を供えた。
「高杉さん、なし、向こうと(小塚原)とこちらで花の色を
変えたんじゃ」実直ものの堀が素朴に首を傾げる。
「小塚原の梅はのう、先生の血で紅く染まっちょる」
「こっちは」
「いずれ紅くなる」
晋作は同志全員の顔を見渡した。
「僕は西洋列強に属国のごとく扱われちょる上海を見た。
上海が今に至るまでの歴史を鑑みるに、日本はその方角に
向かって着々と進んじょる。進めちょるんは幕府じゃ。
幕府を倒し、攘夷を行い、五大州(世界)に気概で臨まねば
我が国に明日はない」
同志に訴えると、みながそれぞれにうなずく。
「白梅は僕らの血で染まれ。先生の御霊を前に改めていう。
僕らが幕府を倒す」


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フィクションかもしれませんが、小説の中のこの情景は
あまりに印象的でした。
高杉は梅の花が大好きです。作家はそれを意識してか、
遺骨を掘り起こした小塚原に紅梅を供え
大夫山の新しい墓に白梅を供えるなんて、
あまりによくできたお話

でも、私も念願かなってここに来れたわけですから、
しばしお墓の前でそんな高杉たちの姿を想像してみました。

しかし禁門の変の時に、長州征伐の幕府軍によって
この墓が壊されました。
その後、明治元年に木戸孝允が修復。
1882年、明治15年に改めてここの一帯が松陰神社となりました。

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石灯籠は伊藤博文始め、多くの明治の要人たちからの寄贈です。
またお墓を壊した謝罪として、徳川家からも墓前に灯籠が
贈られました。

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社務所にはお札やお守りがありますが、
私も記念に松陰先生直筆の「志」が書かれた
「志守り」を買いました。(写真中央)

 志を立てて
 以て万事の源と為す  吉田松陰

  *大意/何事にも、志をたてることが大切である。


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もうひとつ驚いたことが!
松下村塾です。

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山口県萩市にある松陰神社、その中にある本物の松下村塾を
模して建設されたそうです。


神社を出て、商店街を抜けて「松陰神社前駅」に向かっていくと
こんなお店を発見

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世田谷名物「松陰饅頭」です。


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お土産に買って帰りました。
素朴な白あんのおまんじゅうでした。
お味もだけど、松陰先生、地域の人々に愛されてるな〜と感じました。

 ニコラス精養堂 03-3421-1100
 東京都世田谷区若林3-19-4

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コメント

お世話になります。 トラックバックをさせて戴きました。 『坂本龍馬と嫁:お龍(おりょう)との出会に、まっこと似ちょるぜよ』


投稿: 智太郎 | 2010年7月18日 (日) 20時46分

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