« 黒田五十二万石 夢の跡 | トップページ | 東京にて その2/靖国神社での発見 »

東京にて その1/吉田松陰先生、祥月命日

10月27・28日と東京出張でした。
吉田松陰先生が処刑された日が1859年10月27日ですが、
私は東京にいるという、また不思議な巡り合わせ。
前回に松陰神社はお参りしたので、今回は小塚原に行ってみました。


27日、東京は快晴
イベントや旅行の時はいつも「晴れ女」を発揮する私
JRで南千住駅に到着です。

Img_0789


1651年からというから350年前、このあたりは小塚原といって
一帯が処刑場でした。
今は地名が南千住駅となり、駅舎も新しく高架の工事なども進行中。
昔の面影をなくすように街の開発が進められています。

Img_0804


そのJRの駅前に、今回の目的地「回向院」があります。


Img_0805

Img_0803

Img_0802

1651年(慶安2)に最初の処刑場とされ、その頃は埋葬などが
きちんと行われず、土をかぶせただけということで
動物たちが遺骸を食い荒らすなど、まるで「地獄絵図」を見る
ような状態だったそうです。
それを見かねて1667年(寛文7)本所・回向院の住職さんが
ここにお堂を建てたことが、こちらの回向院の始まりです。

明治初期までに20万人以上が処刑され、
「安政の大獄」により、橋本左内、頼三樹三郎、吉田松陰と
歴史を深く刻んだ方々もここで露と消えました。

墓所の前にある小さな看板がそれを伝えています。


Img_0798

さて、松陰先生のお墓は?

このつきあたりがそれだそうです!

Img_0794


今日は「祥月命日」ということで、朝からスーツを着た人など
いつもより多く参拝があった、とお寺の方から聞きました。
やはり、知ってる人は知ってるんですね

私もお線香を供えさせていただきました。


Img_0797


墓石に書かれている名前ですが「松陰 二十一回猛士 墓」です。
見えますか?

   *写真はクリックして頂くと大きく見えます


 
Img_0793

先生の幼名は杉虎之助、吉田家に養子に入って大次郎。
通称は寅次郎で、号が松陰、また二十一回猛士だったとのこと。

「二十一回」については、名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に
分解し、これらを合計した数字が「二十一」となる。また「吉田」の
「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み
合わせると「二十一回」となることによりつけられているそう。

先生って、やはり複雑というか、今でいうと「めんどくせー」と
言われそうな人ですね *ごめんなさい!


当時、政治犯はほとんどさらし首にされたそうです。
桂小五郎などが賄賂を使ってうまく動き、松陰先生の首は
その汚辱にあうことなくこの回向院に遺骸は埋葬されました。

1859年に処刑された時、吉田松陰先生はまだ29歳という若さ。
以前書きましたが、先生の処刑のことを知らずに
高杉晋作は萩に帰っていくのでした。

大老・井伊直弼の権限で死罪となったということ、
また自分を萩に追い返した江戸藩邸の連中に
高杉は深い憤りを感じ、周布政之助に手紙を書きます。

  「我が師松陰の首、遂に幕吏の手にかけ候の由、
   防長の恥辱、
   口外仕り候も汗顔の至りにござ候。
   私共も師弟の交わりを結び候ほどの事故、
   仇を報い候はでは安心仕らず候。」


吉田松陰も高杉晋作も「忠義」を重んじた律儀な武士でした。
特に松陰の精神的緊張が並外れて純粋で、実直であった故に
後の人々に深い感動を与えていると思います。
この時代の矛盾や苦しみを自分のものとして、真正面から
対決し、若くして死に至った松陰先生。

もうひとつ辞世の句といわれるもの

 「呼び出しの声まつほかに今の世に
  待つべきことのなかりけるかな」

「面白きこともなき」と詠んだ高杉と比べるといけないけど
その状況はあまりにもやるせないですね。
でも松陰先生が殺された故に、徳川幕府に対する憎しみ、
それがさらに純化して、倒幕運動のエネルギーとなったのは
間違いないでしょう。
まさに「忠臣蔵の世界」のようですね。

さて4年後の1863年、高杉ら弟子たちによって
この回向院から世田谷若林の大夫山に
松陰先生の遺骸は移送されます。
なので、この回向院のお墓には何もありません。
先生が最初に埋葬された、という歴史が残っているだけ・・・

お骨は、世田谷の「松陰神社」のお墓の中に、
そして萩の団子岩にあるお墓には遺髪が納められています。


Photo
                     松陰神社のお墓

さて、回向院を出て、高架の方にまわってみると
処刑場跡に作られた大きなお地蔵様があります。

Img_0809

  「小塚原の首切り地蔵」 お顔は優しいのに、超コワネーミング

20万人以上という人たちが処刑された、と書きましたが
たくさんの憂える魂をこのお地蔵様が慰めているのでしょうか。

周囲は再開発工事が進んでいるのですが、
このような歴史はずっと伝えていかないといけないですね。
高杉晋作も先生の墓参りとして、何度もこの地を
訪ねているようです。
  

Img_0810


南千住 回向院
所在地:東京都荒川区南千住5-33-13
   JR常磐線・地下鉄日比谷線南千住駅より徒歩2分

|

« 黒田五十二万石 夢の跡 | トップページ | 東京にて その2/靖国神社での発見 »

東京」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東京にて その1/吉田松陰先生、祥月命日:

« 黒田五十二万石 夢の跡 | トップページ | 東京にて その2/靖国神社での発見 »