太宰府天満宮、梅と延寿王院
学問の神様、そして「飛梅(とびうめ)」で有名な太宰府天満宮へ
小春日和の中、西鉄電車で太宰府駅に到着。
駅を出るとすぐに参道につながります。
お土産屋さんがずらっと並んでいます。
その参道に入ってすぐ、松屋、大野屋、泉屋さんという
旅館跡のお土産屋さんがあります。
高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、中岡慎太郎など
そうそうたる顔ぶれが太宰府に集まったとか
それは、三条実美を中心に、延寿王院の五卿を訪ねてきた
志士たちだったのです。
松屋さん 薩摩藩の常宿でした。
今は、梅が枝餅(うめがえもち)と和雑貨を扱うお店。
「維新の庵」
この奥には素晴らしいお庭があって、建物も当時のまま
外観のみ見る事ができます。
お庭には京都から薩摩落ちをした、悲運の上人・月照さんの
歌碑がありました。ここに泊っていた!とびっくりしました。
ことの葉の花をあるじに旅ねする
この松かげを千代も忘れじ
安政5年、京都清水寺の高僧月照は、薩摩に落ち延びていく道すがら
憂国の志厚い、松屋孫兵衛を頼ってここにかくまわれた際に、
お礼として書いた和歌だそうです。
続いて、長州藩士の常宿だったのが、「大野屋」さん
ここはお豆屋さんになっていて、当時を偲ばれるのは
天井の梁だけ!
あと泉屋さんは、「梅園」というお菓子屋さんになっていて、
3軒がぴったり並んでいます。
不思議なんですが、「薩長が犬猿の仲」だった時は、
どうなっていたんでしょうかね
参道はそんなに長くはありません。
ちょっと歩くと、天満宮の鳥居に到着します。
梅はまだ3〜5分咲きといったところ
すぐに「延寿王院(えんじゅおういん)」が見えてきました。
慶応元年(1865)2月13日に、長州征伐の責任をとった
勤王攘夷派の五卿たちが太宰府に流され、ここに入ったのです。
季節はまさに今です!
立て看板、シックなデザインでした。
クリックして大きくして読んでみてください。
天神様の使いの「牛」、その向うに意匠の素晴らしい御門があります。
この門の奥が目指す建物ですが、
現在は天満宮宮司の西高辻さんのお家で、中に入ることはできません。
「五卿遺跡」という大きな石碑があります。
約3年の間ここに滞在した五卿たちは、毎日交替で社殿に参詣、
国体安全や攘夷遂行を祈願したそうです。
そして、この延寿王院の奥の間で、志士たちとともに尊王倒幕の
はかりごとがめぐらされたのですね。
五卿たちが京に帰ることができたのは、慶応3年、12月19日。
慶応2年6月に幕府が長州征伐に失敗し、同年12月に孝明天皇崩御。
そこで征長軍が解散され、翌3年12月に五卿復宮の勅命が
下ったのでした
門の上の瓦、さすが梅がシンボルの太宰府ですね。
ピンクがかわいい
さて、その延寿王院を右手に見ながら、本殿の方に向かいます。
まず太鼓橋を渡ります。
ここに来るといつも思い出す。
学生時代、「二人で来ると、ここは縁切り寺」といって、
先輩カップルがこの橋を渡らなかったこと!
本当かな〜 菅原道真公はそんなにヤキモチ焼きかな?
本殿の前の楼門、当時のままかどうかわかりませんが
1845年(弘化2)に、福岡藩士・平野国臣が、福岡藩
普請方として、この楼門の修理に携わったそうです。
本殿です。
今日は平日でわりと静かだけど、受験シーズンの土日は
この本殿前はすごい人波になります。
飛梅
都の邸宅の庭に植えていた梅が、菅原道真公を慕って
この地に飛んできたという由来をもつ梅。
まだ3分咲きでした
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
境内には梅園があり、約5500本の梅の木があるそうですが、
この「飛梅」のあとをうけて、つぎつぎに花を咲かせるとか。
だから、他の木はほとんど咲いてない状況。
宝物殿の横に、かわいいピンクの花が咲いてたけど・・・
あ、宝物殿といえば
高杉晋作の手紙(父・小忠太あて)があるそうです。
なんでも子孫の方が、お礼として奉納されたとか。
今は特別展で見れませんが、運がよければ見れるようです。
この調子だと、3月6日の「曲水の宴」の頃が見頃では
平安絵巻を見ながら、むせかえるような梅の香りに包まれる、
それはそれは素晴らしいと思います。
オススメ
さてさて、帰りに「松屋」さんで梅が枝餅を食べました。
「維新の庵」の入り口、赤い毛氈を敷いた床机に座ったら、
ご親切に梅昆布茶まで頂きました
松屋さんの店主、栗原雅子さんにお会いして、幕末のご先祖のお話を
伺うことができました。
月照さんをかくまった孫兵衛さん。
月照の身の上にいたく同情を寄せて歓待に努め、太宰府見物にも
案内し、宝満山の紅葉見物にも同行。
薩摩落ちの旅は大変苦難に満ちたものであったため、
太宰府における畳の上でのお泊りは、どんなにか心が休まったか。
そういうわけで、さきほどの歌碑にあった歌を孫兵衛さんは
頂いたようです。
その後、西郷隆盛と錦江湾で入水、月照さんは不運な最期を
遂げ、松屋孫兵衛さんは大変嘆き悲しみましたが、この歌は
松屋さんの家宝として受け継がれているそうです。
今日は「延寿王院」と「梅」を見るのが最大の目的でしたが、
また松屋さんから色々なお話も聞けて、ラッキーです。
最後に、延寿王院の前にあった石碑にあった七卿落ちの図。
これは、京都から落ち延びる絵をレリーフにしているのですが、
このときのお伴で、一番左側は「久坂玄瑞」なんですよね
蛤御門なんかで死なないで、もう少し生きててほしかったね
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