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やっと行けた、延命寺

北九州市小倉北区上富野、国道3号線沿いに「延命寺」はあります。
ここは、小倉城の位置から見て鬼門の東北を守る、という
意味で鎮座しています。「東北山・延命寺」が正式名のようです。

 

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禅宗の黄檗宗というわけで、なんだか中国風の外観です。

さらに、小倉北区にある足立山より東照大権現(徳川家康)宮も
移し、延命寺の住職は代々東照宮の別当も兼務していました。

そういうわけで、慶応2年(1866)に小倉戦争で豊長の変が起きた際、
このお寺は長州軍により火をかけられ消失してしまいます。
長州の奇兵隊のかっこうの標的になったのでしょう。

その後明治初年(1868)に菜園場(さえんば)にあった妙行寺を
引き移し小庵を建て、豊長の変での没兵士たちの霊を慰めました。
そして、黄檗宗のお坊様の手により今の姿になったと伝えられています。


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お寺の敷地の中には、このようなお墓がありました。
上が欠けているけど、何かの本で
「延命寺には長州奇兵隊の戦死者の墓もある」と
読んだことがあります。


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このお寺の存在を知ったのは、昨年ブログで紹介しましたが、
「大田・絵堂」にある金麗社の灯籠のいわれを見たからです。


  こちらが、山口県美祢郡美東町にある金麗社の石灯籠
   *灯籠の裏に「元治四年丁卯秋七月立 奇兵隊」と書かれてある!

Photo


これは、戦利品としてまさに「延命寺」にあったものを一対とも
持ち運んだ、と説明書きに書かれていました。
よくも、こんな遠くまでと改めてオドロキです。

最初、四境戦争が始まる前に、長州藩からは小倉藩に
小倉砲台をぜひ貸してほしい、長州側に味方してほしい、と
頼みにいったそうですが、あっさり断られてしまいました。

近い対岸の藩同士ながら、横たわる海峡の如く
徹底的に敵味方になってしまいました。悲しいね
大里から赤坂(今の3号線沿い)にかけては
かなり悲惨な戦いが繰り広げられたそうです。
車で3号線を走っていると、
お寺がずーっと並んでいて不思議な道だなぁと昔から思ってました。
高台から海峡が臨める素晴らしい街並なんですが・・・

さて、私がよく参考にさせてもらってる「長州維新の道」と
いう本があります。
そこの新刊が発行!という情報を、発行元・のぶ工房様から
お知らせ頂きましたのでご紹介しておきます。
文章も写真も素晴らしく、読み応えのある本ですので
長州ファンはもとより幕末ファンの皆様はぜひお求めください。 
おすすめです


  長州維新の道 下巻 萩往還

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