150回目の東行忌 / 平成28年4月14日(木)
今年の4月14日は、高杉さんの第150回忌法要となります。今年の法要はスペシャルなことがたくさんあります。遺書に書かれた願いを150年目に叶えてあげたいという思いからです。元治元年12月の功山寺決起直前、高杉晋作は友人の大庭伝七にあてての遺書です。長文の手紙ですが、さんざんお世話になった大庭へのお礼も込めて、万感の思いでしたためています。
その後、長々とご無沙汰致しまして、恐縮しております。私も、いまだ、自らの死に場所を得ることができず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知のとおり、両殿様(藩主父子)の御身に迫っている危難を思いますと、このような状況を招いた我々臣下一同、死をもってしても、余りある状況でございます。
先日、長府に出張した折に、一言も御相談申上げなかったことにつきましては、心に深く思うことがあったからなのです。ですから、何卒、悪くお思いになりませんよう、お頼み申し上げます。私も毛利家恩古の家臣ですから、今日に至って、士民(武士と民衆)を同一視するような気持ちは、これっぽっちもございません。このことは、兼ねてからご存知のことと思います。
讒言(ざんげん)により、長府公(長府藩主・毛利元周)も、私たちのことを、色々と悪く思し召されていることが、残念でなりません。さりながら、人生の事は棺(ひつぎ)のふたを覆った時に、はじめて定まるものだと申します。ですから今の段階で、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公(毛利元就)の血を引く正統な府公でございますから、たとえ、私を追討せよと仰せられたとしても、露ほどもお恨み申し上げたりはいたしません。とは言え、できることなら、私の思いを、私が生きているうちに、府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから、おいおい嘆願書を差し出すつもりでいます。
野々村君たちのことも、悪く仰せになりませんよう、お願い申上げます。私たちが長府城下を離れておりましたのは、長府公のことを深く思ってのことです。それなのに、この思いとは裏腹に、讒言を受けるにことにつきましては、甚だ遺憾に思っております。死んだ後でなくては、到底明白にはなるまいと、覚悟を決めた今の心境を、是非ともご推察頂きたく願い申し上げます。
私がもしも馬関で死んだなら、招魂場へお祭り頂けますよう、お願い申上げます。
私だって個人的な情愛を持たぬ人間ではございませんが、国家の大難が胸中を火のように焦がしているために、ついつい小事を忘れていたものとご推察頂けますようお願い申上げます。筑前以来お世話になり、また馬関へ帰って後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら、一言も申し上げず馬関を出ることは、無情のようではございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。
ご家族も、道理を知らぬ者と、私のことを悪くおっしゃっることと思いますが、私に代わってご弁解頂けますようお願い申上げます。また、筑前で、野々村から5両を拝借しておりますが、まだ返却できないでおりますので、その件につきましてもよろしくお伝え下さい。なお、御珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は、陣中の楽しみとすべく、勝手に持ち去りましたので、そのようにご承知頂けますようお願い申上げます。
前文でも申し上げましたように、赤間関の鬼となり、討ち死に致しますので、別書の通り、墓碑を建てて頂けますよう、ご面倒ではございますが、お願い申上げます。井上小輔、三好大夫へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にも御無沙汰しておりますが、よろしくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死んでも、恐れながら天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。入江角次郎も御地へいらっしゃるとこのとですので、このことをお伝え頂けますようお願い申上げます。
私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らして、お祭り下さい。また、別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。
表
故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之助也
裏
毛利家恩古臣高杉某嫡子也
月 日
売国囚君無不至 捨生取義是斯辰
天祥高節成功略 欲学二人作一人
国を売り君を囚(とら)え至らざるなし
生を捨て義を取るはこれこの辰(あした)
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作(な)らんと欲す
国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。
命を捨てて義をつくすのはまさにこのときである。
文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した明の謀臣)の策略と、
2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。
申し上げたことはございませんが、私は、あなたが誠の心をお持ちの方だと知っております。だからこそ、このようなことを申し上げるのです。御他言は無用に願います。もし、あなたが幽囚の身になるようなことがあれば、入江角次郎に、このことを伝えて下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。 伝七様 梅之助
墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件につきましても、お願い申上げます。また(□□不明)の内は、この書状を他人へ見せた場合、もはや、あなたのことを知己と思うことはできません。以上は、筑前で酔いつぶれ、ふと思い起こして認めたものです。
大庭伝七様へ 谷梅之助
この遺書の赤字で記したところが、150年を迎えて実現します。
詳細は東行庵のHPでご覧ください。
当日、その墓誌碑の除幕式、そして京都島原の葵太夫さんの
墓前での舞の奉納があります。
150年の今年、ぜひ多くのお参りをいただきたいなと
思います。
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