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2017年1月

お正月の松陰神社と東行庵

 あけましておめでとうございます。

ついに2017年がやってきました。今年は晋作没後150年です。
1月3日、今日は萩の松陰神社と東行庵にお参りすることに。
まずは、萩に向かいます。
萩の町に入る前に、道の駅「萩往還」に寄ります。
お約束の松陰先生と弟子たちの像にご挨拶。

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最近仲間うちで人気のある、山田市ィ。
お隣は弥次さん。

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さて、松陰神社の今年の絵馬は入江九一。
お正月で紅白幕が張り巡らされており、ちょっと写真が撮り
づらい。
毎年、市内の学生さんが描いているんですよね。
私の入江九一のイメージとかなりかけ離れてましたが、
この案内板によれば、実弟の野村靖の写真からイメージ
しているらしい・・


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本殿の前はたくさんの人が行列していたので、先に
松門神社にお参りすることに。
うっかりしていましたが、ここは前原一誠の史跡でも
あります。


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そして、松門神社の立て札の裏面には、この神社に
祀られている方々の名前の一覧があるのです。


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余談ですが、私が長州一のイケメンと思っている、
妻木寿之進の名前もありますね
さぁ、そして今回の旅の目的でもある、至誠館の企画展
前原一誠殁後140年記念「前原一誠と萩の変」に向かい
ます。
至誠館の前には、こんな演出が!
石を並べた「頌春」です。


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至誠館は松陰先生の「留魂録」のために作られた資料館ですが、
今回の書簡の中、先生の「士規七則(しきしちそく)」が目に留まり
ました。日本人として、武士としてのあり方を書いたものです。
三つの教えを基軸にしていますが、その三つというのは
「立志」  志をたてるということ
「択交」  良き師友と交流し、人格を磨くこと
「読書」  多くの本を読み、古の聖人たちの教えをうけること
これは今でも言えることですね。
さて、前原さんの遺品としては、北越戦争でもっていた
地図、それから、家族に宛てて書いた遺書、キセルか何か
に入れて持ち運ぼうとしたのでしょう。細長い紙に書かれて
いたものなど。
両親と奥さん、愛妾の秀さんに書かれた遺書は、本人の
真筆を見て、とても切なく思えました。
そして、萩の獄では、当時の山口県判事の関口隆吉が
手厚くもてなしたこと。
ある本で読んだことがありますが、関口が処刑の前夜に
「明日でお別れとは本当に忍びない」と言ったところ、
前原が「では一緒に死のう!」と返したそうです。それに
対して「いや、それは!」と慌てた関口を見て、大笑いを
したとか・・・
そのエピソードは、死ぬことが武士にとって非日常ではない
といえ、無念の前原が全てを観念して腹をくくった姿だと
とても印象強いものとなっています。
昨年の2016年が、萩の変より140年なのです。
それで、下関の桜山神社ではやっと前原一誠が合祀され
ました。昨年の8月のことです。
そして、今日、こちらの青田宮司にご挨拶ができまして、
なんと、松陰神社での140年記念の資料を頂戴しました。
大感激でした
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さて、萩はここまでで、次は東行庵にお墓まいりです。
昨年の4月の東行忌以来、久しぶりの東行さんです。

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昨年、150回忌の記念として、墓碑銘の記念碑が
建立されたのですが、そちらも改めて。
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墓碑銘の寄稿文を書かれた古川先生は、この
3つの肩書きが、晋作の全生涯を言い表していると
言われました。なるほど、です。


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これで、今日の行程はすべて終わりました。
でも、会いたい人たちにも会えましたし、とても良い
お参りができました。
今日のお土産は、とても大きな「鬼ほっぺ」という
萩産のイチゴ。
甘酸っぱい味は、もう春の味わいでした。

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