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2018年10月

高杉晋作の灯る夜/下関市日和山公園

 今年は、明治維新150年。

ということで、下関市でそれにふさわしい企画の公募が行われ、幾つかの団体がイベントを開催することになりました。
その一つとして、「日和山愛護会」という方たちが企画した、こんな素敵なイベントが行われました。平成30年10月13日(土)のことでした。
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これは、熊本市在住の竹あかりアーティストの「ちかけん」さんが、日和山の晋作像のまわりを竹灯篭でライトアップするというもの!
ちかけんさんは、日本にとどまらず、今や世界にも飛び出していかれるほどの人気の竹あかり創造デザイナーです。
このイベントで、晋作の講話と筑前琵琶の演奏など、色々な催しが行われました。
私が担当したのは、Part1で「互いに命を救った、高杉晋作と野村望東尼」という講話。
それと、Part2で「日和山公園と高杉晋作像」という講話です。
日和山公園は、下関で初の市の公園として作られました。この場にふさわしい人物の銅像を建てようということになり、選ばれたのが、高杉晋作でした。
それが、昭和11年、晋作70回忌の時のことです。

蛇足ですが、私の母が小学1年生で、近所の子供たちみんなで、日和山公園に運んだという思い出があるそうです。手押し車にその銅像を寝かせて、紅白のロープで子供たちが引っ張って上まであげたという状況。なんとまぁ、驚きです。
しかし、戦中の金属供出の犠牲となり、昭和18年、銅像は姿を消しました。
再建されたのは、13年ぶり、昭和31年のことでした。
そして2代目の現在の像は、金属ではなく備前焼きの陶像となっているのです。

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そして、この長羽織の姿は、江戸時代流行っていた町人のスタイルなんですが・・・
実は、筑前(今の福岡)に亡命した際に、野村望東尼から変装用にと渡された着物だったのです。

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「まごころをつくしの衣は国のため
 たちかえるべき衣手にせよ」
晋作のために、望東尼が夜もすがら縫い上げた、というまごころを尽くした着物だったのです。
そして、その歌の句碑が、この晋作像の足元にあります。

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この句碑がいつ、誰によって設置されたかはわかりません。
そして、望東尼が島流しにあった姫島の石も、一緒に置かれているのです。
日和山公園は、まさに晋作と望東尼二人の物語が残る、知られざる史跡だと言えるでしょう。

さて、その日和山公園に、ちかけんさんたちのキビキビしたセッティング。晋作さんの周囲が見たことない景色に変わっていきます。リハーサルをしている時は、まだこんな感じでした。

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昼間から夜にかけて風も全くない、穏やかな天気でした。
風が少しでもあると、譜面がめくれてしまうという先生の心配をよそに・・・
全然大丈夫。天気もイベントに味方してくれています。
そして
次第に夜の帳が降りてきます。
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実に美しい夕景となりました。
そしてついに点灯式が行われ、今まで見たこともない幻想的な景色にお客様もスタッフもみんな驚きです。

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そして、この幻想的な灯りのステージ上では、大師範・東旭秀先生による筑前琵琶の奉納演奏が始まります。
ところが!   「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」が演奏されたのですが、最初のベン!というバチを鳴らした瞬間に、弦がプツンと切れてしまいました。
 昨夜、一番太い弦に張り替えたばかりだというのに! 先生自身も、私も、みんな衝撃でした。そんなことはあり得ない・・・
しかし、会場の皆さんも感じました。「高杉さんが降りてきた!」
まさに、そういうことなんです。
これは、リハーサルの時の東先生なのです。
「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」という曲は、毎年、望東尼のご法要の際に、筑前琵琶・旭会の皆様から奉納される曲です。

勤王の志士たちを匿う、平尾山荘の女丈夫・ 野村望東尼。
そこに集う志士たち。しかし、晋作を匿った罪で、彼女は島流しにあってしまう。
遠島になってやく10ヶ月。三反帆の早船一艘、玄海灘の荒波をかき分けて、望東尼救出部隊がやってくる。6人の志士たちによる救出劇。 それは、「長州高杉氏の使いにて」という、感動的な物語が語られます。

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東先生と私の出会いも、数年前の平尾山荘の法要の時からでした。
その先生と初のコラボで、しかも、下関で! 語りと琵琶をご披露したのですが、まさか高杉さんのご降臨をいただけるなんて、感激して涙が出たことはいうまでもありません。 一生忘れられない思い出となりました。

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この日の高杉さんは、お釈迦様のようにも見えました。
そして、銅像と、海峡ゆめタワーと、眼下に広がる海峡の夜景。
それに、三日月と星が上空高くに輝いて、こんな美しい絵巻物を見たことがありません。 それくらいに感動的な夜でした。

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日和山愛護会の皆様の企画、大成功でした。
お客様も500人超えだったようです。
これから先も、この日和山の歴史が語り継がれていくことを、願いたいと思います。
ちかけんさんも、竹灯篭を作ってくれた地元の皆様も、お疲れ様でした。
本当に 素敵な竹あかりでした。
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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