日和山の竹あかり 維新150年記念
年が変わってしまいましたが、2018年の秋にこのようなイベントがありました。
日和山公園は下関で最初にできた市の公園です。
その公園にふさわしい人物の銅像を作ろうということで選ばれたのが、高杉晋作でした。
最初は銅像でしたが、戦時中に金属供出で姿を消しました。
それで、今は備前焼きの陶器の像となっています。
そして、功山寺決起前に大庭伝七あてに書いた遺書にある、「自分は死んでも、赤間関の鎮守となるつもり」という言葉をイメージしたのでしょうか。
今も、海峡を睨んで立っているその姿は、まさに神々しい立派な姿です。
夜の帳が次第に降りてきます。
さてこの日は、地元の「日和山愛護会」の皆さんによる、いろんなイベントが行われました。その中で、大変不思議なことが起こったのです。
それは、まさに「高杉晋作と野村望東尼」のお話が終わったあと、筑前琵琶奏者の「大師範 東旭秀先生」の演奏の時に起こりました。
これは、リハーサル時ですが・・・
熊本の竹灯りデザイナーの「ちかけん」さんのプロジェクトです。
日和山公園の晋作像のまわりが竹あかりで輝くのが、今か今かと待ち遠しい時間の流れ・・・
夜の帳が次第に降りてきます。

さてこの日は、地元の「日和山愛護会」の皆さんによる、いろんなイベントが行われました。その中で、大変不思議なことが起こったのです。
それは、まさに「高杉晋作と野村望東尼」のお話が終わったあと、筑前琵琶奏者の「大師範 東旭秀先生」の演奏の時に起こりました。

これは、リハーサル時ですが・・・
「あぁ 野村望東尼 〜姫島より〜」という曲をご奉納することになっていました。
リハはバッチリ!
昨日、一番太い絹糸の弦を張り替えられて臨んだ東先生。
「心を込めて演奏します。高杉さんに聞いてもらえるかな?」と本番前におっしゃっていたのです。
そうしたら、なんとなんと! 最初の小節「ベーン」と弾いた瞬間に、1本の弦がバチッと切れたのです! 「あーーーー!」 私を含め、周りのスタッフがみんなパニックになりました。
でも、さすがの先生、「ちょっとお待ちください」と言って舞台上でささっと弦を張り替えて、もう一度最初から。
そうやって無事、ご奉納をしていただいたのです。
後から聞いたのですが、 先生の長い演奏歴の中で、張り替えたばかりの弦が一発で切れるなんてことはなかったそうです。
下でご覧になっていた人たちも、私たちもみんな思いました。
こんなに素晴らしい日和山公園は初めてでした。
維新150年の記念の年に、日和山で素敵なイベントに参加させてもらったこと。
ありがたく、忘れられない一日となりました。
追記:
日和山公園の晋作像の足元には、望東尼ゆかりの「姫島の石」があるのです。
そこには、平尾山荘に匿われた晋作が、望東尼から手縫いの着物をもらった、その時の和歌が書かれた記念碑もあります。
まごころをつくしの衣は国のため
望東尼から頂いた着物を着ている、と言われています。
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