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2019年1月

日和山の竹あかり   維新150年記念

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年が変わってしまいましたが、2018年の秋にこのようなイベントがありました。

日和山公園は下関で最初にできた市の公園です。

その公園にふさわしい人物の銅像を作ろうということで選ばれたのが、高杉晋作でした。
最初は銅像でしたが、戦時中に金属供出で姿を消しました。
それで、今は備前焼きの陶器の像となっています。
そして、功山寺決起前に大庭伝七あてに書いた遺書にある、「自分は死んでも、赤間関の鎮守となるつもり」という言葉をイメージしたのでしょうか。
今も、海峡を睨んで立っているその姿は、まさに神々しい立派な姿です。
熊本の竹灯りデザイナーの「ちかけん」さんのプロジェクトです。
日和山公園の晋作像のまわりが竹あかりで輝くのが、今か今かと待ち遠しい時間の流れ・・・

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夜の帳が次第に降りてきます。


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竹に掘られた模様が美しい!



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武田菱の家紋まで作ってくれたなんて、心憎い

フィギュアの晋作くんもさりげなく登場!

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さてこの日は、地元の「日和山愛護会」の皆さんによる、いろんなイベントが行われました。その中で、大変不思議なことが起こったのです。


それは、まさに「高杉晋作と野村望東尼」のお話が終わったあと、筑前琵琶奏者の「大師範 東旭秀先生」の演奏の時に起こりました。


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これは、リハーサル時ですが・・・
「あぁ 野村望東尼 〜姫島より〜」という曲をご奉納することになっていました。
リハはバッチリ!
昨日、一番太い絹糸の弦を張り替えられて臨んだ東先生。
「心を込めて演奏します。高杉さんに聞いてもらえるかな?」と本番前におっしゃっていたのです。
そうしたら、なんとなんと! 最初の小節「ベーン」と弾いた瞬間に、1本の弦がバチッと切れたのです!  「あーーーー!」   私を含め、周りのスタッフがみんなパニックになりました。
でも、さすがの先生、「ちょっとお待ちください」と言って舞台上でささっと弦を張り替えて、もう一度最初から。
そうやって無事、ご奉納をしていただいたのです。
後から聞いたのですが、 先生の長い演奏歴の中で、張り替えたばかりの弦が一発で切れるなんてことはなかったそうです。
下でご覧になっていた人たちも、私たちもみんな思いました。
「高杉さん、来てる! 自分の存在を知らしめたのね〜」


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お天気に恵まれ、ライトアップされた晋作さんと、海峡ゆめタワーと、その間に綺麗な月
こんなに素晴らしい日和山公園は初めてでした。
維新150年の記念の年に、日和山で素敵なイベントに参加させてもらったこと。
ありがたく、忘れられない一日となりました。
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追記:
日和山公園の晋作像の足元には、望東尼ゆかりの「姫島の石」があるのです。
そこには、平尾山荘に匿われた晋作が、望東尼から手縫いの着物をもらった、その時の和歌が書かれた記念碑もあります。
  まごころをつくしの衣は国のため
       たちかえるべき衣手にせよ


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この像の着姿は、まさに町人風に変装した晋作。
望東尼から頂いた着物を着ている、と言われています。
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平成31年は亥年

あけましておめでとうございます。

1月3日に、萩に行きました。
必ず道の駅・萩往還によります。
松陰先生と高杉、久坂の双璧の像があります。


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着きました! 松陰神社。
今年は亥年ですが、なんと晋作さんは亥年です。
毎年の、神社入り口のおおきな絵馬。
今年は、シュッとした絵ですね。

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構成と作画は、萩市立萩東中学校美術部だそう。
社務所で販売している絵馬も同じ柄で、こちらは飾り絵馬です。
私は普通の絵馬にお願い事を書き、この飾り絵馬はお友達のも含めて5枚購入!
松陰神社で初めて見た、行列。

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留魂録が納められている、至誠館の前の池。
石を並べて、迎春の文字。

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並んでいる間に、絵馬を買ったのですが、ネイビーのコートの後ろ姿が私。
その私の左右に、不思議な緑の光✨
わかる方はわかりますか?
松下村塾の門下生の皆さんでしょうか


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長蛇の列を並ぶこと、30分。
本殿のお参り終わって、引いたおみくじは小吉でした。
次に向かったのが、松陰神社の隣にある、松門神社です。
ここは、高杉晋作はじめ53柱を合祀しています。
松陰先生の獄中フレンドで、三宅島に遠島になった沼崎吉五郎の名前もありました。
松陰先生から預かった「留魂録」を襟の中にかくしもっていたといわれています。
沼崎は明治7年に赦免されて、明治9年に神奈川県令となっていた野村靖を訪ねて留魂録を渡しました。野村がその留魂録を夢中で読んでいるうちに、この老人はひっそりと姿を消したといわれています。
現在、その至誠館にある留魂録こそが、その沼崎が所持していたものです。

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そして、松門神社の入り口の側には、ひっそりと萩の乱の碑があります。


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「明治9年萩の変 7烈士殉難之地」碑。
前原一誠、佐世一清、奥平謙輔、有福恂允、山田穎太郎、横山俊彦、小倉真一の7人です。
この碑は昭和51年の百年祭にあたり、萩市恵美須町の刑場跡に建立されました。
その後、平成18年にこの松門神社の現在地に移建されたものだと書いてあります。


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「至誠」
松陰先生そのもの。
「命をかけて貫くまごころは、限りなく多くの人々を感動させる」
新しい年に、改めて心に響く言葉でした。
 

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