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2020年2月

太宰府天満宮の「萩狛犬」

今日は梅を訪ねて、太宰府天満宮に行ってきました。

まずは延寿王院。

8月18日の政変で都落ちした公卿たちが、最後に行き着いた太宰府天満宮です。

「五卿遺跡」という揮毫は、三条実美の次男によるもの。

 

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ここには、西郷隆盛や坂本龍馬、中岡慎太郎、そして高杉晋作も

五卿を訪ねてきたと看板に書いてありますが、

この時期、高杉がここに来れたのか「謎」です。

平尾山荘に潜伏時期ならわかりますが、慶應元年〜2年の間に

福岡に来る余裕あったのかな?

 

さて、前置きはこのくらいで今回のテーマは、太鼓橋の前にある

一対の「萩狛犬」についてです。

狛犬というのは、想像上の動物で天皇をお守りするために、1700

年頃から盛んに神社に奉納・寄進されたそう。

 

延寿王院を通り過ぎて、最初の鳥居をくぐったところ、太鼓橋の

手前に一対の狛犬があります。

阿吽の形で、特に珍しいものではありません。

 

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しかし、この後ろにまわってみると、石工の名前とともに

大きく刻まれている文字が!

 

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江戸狛犬、大阪狛犬、萩狛犬と有名なところはそのあたりで、

それが全国で見られるのですが、

大阪狛犬萩狛犬の大きな違いは、これ!

・大阪の狛犬は参拝者を見つめているが、萩狛犬は頭上・虚空を見つめている。

・萩狛犬には、台座に牡丹や松竹梅などの浮き彫り加工がされている。

 

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台座には確かに牡丹の浮き彫りがあります。

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これらは、加工しやすい安山岩で、石工の腕の見せ所だったのでしょう。

 

この萩狛犬は、文久2年に寄進されています。

そして、同じ年に京都の北野天満宮にも寄進されているそうです。

尊皇攘夷派のリーダーとして、長州が京都での存在感を強めていた

証ではないかと。

幕末の長州志士たちは天神信仰が盛んだったので、天皇は我らが

お守りしますという気概をこめて萩から運んだのでしょう。

また防府天満宮には、大阪狛犬と萩狛犬、両方があるそうです。

近くの方は、ぜひ行って確かめてみてください。

 

さて、想像上の動物というと、天満宮にはもう1体、素敵な像があります。 

 

麒麟がいる

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いつ見ても素敵な像!

頭が狼、胴体は鹿、足は馬、尻尾は牛と、それぞれの動物の一番

美しいパーツが組み合わされているものだそうです。

顔が向いているところから縦のラインを引くと、麒麟の胸から前は

聖域、後ろは俗域とされ、結界を表しているとのこと。

なるほど〜。昔の人は発想がユニークですね。

 

聖域のすぐそばには、これまた立派なお手水があります。

麒麟は博多の豪商たちが寄進、お手水は博多の遊郭の

女性たちの寄進と聞いています。

 

幕末に長崎のトーマス・グラバーが家族でここを訪れた時、

お嬢さんがすごく気に入って「このキリンが欲しい」と

言ったとか。

かわいい愛娘のためにグラバーは天満宮に交渉するも、

もちろん「NO!」ですよね。

そこで後に似たような像を作らせました。それが、

長崎のグラバー邸には今もありますよ。

またグラバーは麒麟ビールの創業社長でもあり、

今でも残る麒麟ビールのラベルのモデルは

この麒麟さんです。

 

今日は梅が綺麗でした。

まもなく受験シーズン突入!

コロナやインフルにかかることなく、

受験生の皆さんにお守りがありますように✨

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