長崎

長崎の帆船祭りに感動

文久2年(1862)といいますから、今年は150年にあたります。

高杉晋作が幕府の千歳丸に乗って、上海に行った年です。

千歳丸に乗り込んだのは4月27日、長崎港を出港したのが29日だったそう。

2年前のブログに、高杉晋作が見た上海を書きました。こちらで

高杉晋作、長崎から上海へ行く


今日、たまたま出張で長崎でした。
いつも時間があると出島ワーフに行くのですが・・・
あらーっ

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長崎港に、林立するマストたち!


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イベント会場には、こんなかわいい水兵さんたちも

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龍馬伝で登場した、あの観光丸もいました。
1855年、オランダ国王から徳川幕府に献上され、
勝海舟の長崎海軍伝習所の練習船として使用された
日本初の蒸気船。これはできる限り当時に近い姿で
復元されているそうです。
ちょうど、船内一般公開が始まった直後でラッキーでした。


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舳先の向うに出島ワーフがみえます。
新緑が萌えて鮮やかな季節に、真っ青な空と海。
お天気もよくて、なんともいえない気分になりました。

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この帆船祭りは昨日4月26日から30日まで開催されています。
高杉晋作が初めて海外にでかけたこの地で、まさに同じ時期に
開催される、来年もぜひこの期間に出かけてみたいです。

また観光丸は、5月2日から火曜日を除く毎日、長崎港から
クルージング船として就航するそうです。
1時間で、2000円とのこと。おすすめと思います

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イギリスに行きたい!

功山寺決起、そして大田江堂の戦いと連戦を終え、無事藩論を
「倒幕」に統一した高杉晋作。
新政府の中で地位を求める事なく、彼がつぎに動いたのは
イギリスに行くということでした。

慶応元年3月24日、伊藤俊輔、三谷国松を伴い
長崎に向かいます。

長崎に着いて、上野彦馬スタジオで撮影された写真。
そうやって眺めてみると、なんともいえない安堵感を漂わせた
ようなお顔にみえますね〜 自信にあふれてて・・・
藩から預かった金子もたんまりあるし


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グラバーを訪ねたのは、慶応元年3月26日。


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しかし、グラバーとイギリス領事のラウダから、「今イギリスに行く
時期ではない。長州は開港すべき」とすすめられ、確かにそうだ、と
4月中旬に引き返します。


下関に帰ると、ただちに開港にむけて長府、清末藩の新地を萩本藩の
替地にしようと協議。しかし、それは攘夷派と二つの支藩士を激怒
させました。
高杉晋作ら、開港論者を斬る暗殺団まで作られます。

このあと、井上聞多は別府に、伊藤俊輔は対馬へ、そして高杉は
おうのさんを連れて大坂〜四国へと亡命します。


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夕暮れの長崎/平成の上海航路

8日木曜日、出張で長崎に夕刻着きました。
最近どこにいても夕焼けがキレイなので、出島ワーフに
行ってみたのです。

その昔、100万ドルの夜景といわれた長崎の稲佐山が
対岸に見えるところです。


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もうポツポツと灯がともっています。
まだ6時半なのですが、本当に日暮れが早くなりました。

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先日、福岡の新聞に載っていたのですが、長崎県佐世保市にある
HTBクルーズが、来春に「長崎ー上海 片道7800円の船旅」を
定期就航するそうです。もちろんこれは大部屋料金で、その他
部屋ごとに違う料金体系もあるよう。

さて、問題は時間なのですが、片道20時間。
これをどう考えるかだと思いますが、私的にはかなり興味あり。
幕末、高杉晋作たちが乗った千歳丸は4月29日に出発して
なんと5月6日に上海着!
そう考えると、飛行機並みのはやさですね
ただ同じ景色をみて上海に、と考えるとわくわくします。


長崎ー上海のブログは昨年書いていますので、よかったら
こちらで見てください。


  またまた 長崎の元気が出るところ

長崎は何度行ってもいい所ですね〜

12日の仲秋の名月まで、長崎新地の中華街では
「仲秋節」が行われるそうです。
ランタンが幻想的なようですね。

 *なんで、縦にならないのか(><)ごめんなさい!


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長崎・アジサイの眼鏡橋

6月6日長崎の仕事の合間、今日は眼鏡橋に行ってみました。
先週偶然通りかかったところ、アジサイが5分咲き。


今日は予想通り満開です


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この周囲の絵図があります。
眼鏡橋は中島川にかかる橋のひとつで、また日本最古の石橋だそうです。
1634年というので、今から377年も前からあるんですね(@Д@;


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眼鏡橋を中心にした川沿いに、ずっとこのアジサイの花々が
並んでいるのです。種類も豊富、しかもみな大輪。
見事です。

その昔シーボルトが長崎の女性「お滝さん」と恋に落ち、
この地で初めて見た美しいアジサイに「オタクサ」と名付けました。
彼は、彼女の思い出とともにオタクサの苗木をもって
母国に帰り、オタクサを広めたのは有名な話。


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アジサイの見頃の時期、このあたりの名物が
長崎のちりんちりんアイス
かわいい屋台で、100円というお値段もいい。

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「バラの形にして〜」とお願いすると、気合いをいれて
このように盛りつけてくれます。
アイスクリームサーバーで上手に花びらを一枚一枚
重ねていく、職人芸でした。


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さて、これをなめながらアジサイ並木を歩いていきます。
いい感じですね〜

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「おっ どこかで見た顔。
あー、近藤長次郎さんじゃないですかあ」

記念碑がありました。


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龍馬伝で、大泉洋さんが熱演でしたね。
この碑の裏書きにある紹介文を・・・


天保9年3月7日、高知城下水道町の餅菓子屋「大里屋」の

伝二と鹿夫婦の間に長男、長次郎として生まれる。

20歳を過ぎた頃、家督を妹の亀に譲り高い志を抱き江戸へ

遊学し、名字帯刀を許され土佐藩士となる。

薩長同盟成立の為に奔走する。長州藩主毛利敬親公ならびに

薩摩藩主島津久光公にも謁見し、長州藩に対し薩摩名義で

軍艦ユニオン号と小銃を買付け供給、同盟成立に大きく貢献

した。その優れた働きに薩摩藩家老小松帯刀から渡英資金援助を

受け薩州藩士上杉宗次郎として英国留学へ向け、更なる高い志を

抱いていたが叶わず、慶応2年正月24日享年29歳の生涯を

とじた。明治31正五位を賜る。長次郎は藩の垣根を越え多くの人

から愛された。


 なお、この碑は今年平成23年3月26日に建てられた
 新しいものでした。

確かに、結末は不幸でしたが、この方も維新に一役かった
その功績は輝かしく、こうして碑を建てて伝えて行く長崎の
人たちも素晴らしいな、と感じいりました。

もうひとつ、上野彦馬の生誕地もこの近くにあるので、
こんな記念碑もありました。

龍馬さんと仁先生のツーショットみたいですね

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おいしいお土産


長崎といえば、先日お客様から頂いた桃カステラが
これまでの既成概念を打ち破る美味しさ

私の中で、マイブームになっています。
ここの桃カステラが、です。
生地はふわふわ、卵の味がしっかり感じられます。
上の砂糖がけはきめ細かいねっとりした食感で、
明らかに今まで食べた桃カステラとは違いました。
大きさもビッグ〜(*横幅が携帯の長さくらい)


万月堂
 長崎市愛宕2-7-10
  TEL095-822-4002

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高杉晋作,上海へ行く

18日の月曜日、久しぶりに長崎に出張。
4月29日といえば、1862年のこの日、長崎の出島港から
千歳丸に乗って上海へ出帆した日です。

長崎で一番好きなところかな〜
その日もちょっと出島ワーフに立ち寄ってみました。

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手前に青,白のテントが見えます。
そう、長崎は明日21日から週末まで「帆船まつり」があるんです。
そのお祭りの中で、先日ドラマの「JIN」で仁先生と龍馬さんが
乗っていた帆船の「観光丸」もやってくるそうです。
そしてこのドラマのロケ、すでに長崎で何カ所か行われたそうです。

JIN、待ちに待ってました。久坂玄瑞、なかなかでしたね。
架空の長州藩士もいいけど、高杉は出ないのかな〜?

観光丸について

さて、司馬先生の『世に棲む日々』の中での一文でご紹介します。

 上海までの船は、358トンの西洋帆船である。3本マストの英国製で
 原名はアルミステス号といった。幕府はこれを長崎で購入し、
 官船とし、「千歳丸」と名付けた。この千歳丸は晋作らを長崎・上海を
 往復させただけでまた幕府の手で長崎の外人商館に売られてしまった。

以前のこのブログでも書いたように、上海でみたこと感じたことは
高杉晋作にとって大きな変革をもたらしました。

西洋文明と比して、「日本はつぶれるな」と思い、それゆえに倒幕を
決意し、「割拠論」を確立したのです。

割拠論  長州藩を幕府体制から独立させて独立公国とし、
        独自の攘夷を行う。

この思想を具体化させることで、今までの高杉が議論家から革命家と
なり、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」という活躍になる
のでした。

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高杉らがここから世界へ出発して、約150年の歳月が流れました。
明日からの帆船祭り、たくさんの船がこのあたりに寄港します。
長崎港はGWを前に華やかな春を告げるようです。
一度見てみたいですね


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長崎ぶらぶら、お礼参り

久しぶりに長崎出張でした。まだ肌寒い中、
今朝もいつものごとく早起きしてホテルを出発

以前に「長崎のパワースポット」で紹介した「梅園身代わり天神」様へ

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天神様に、「梅」
長崎は暖かい地で開花が例年早いよう。
もうほとんど咲いてないけど、かろうじて残っている枝も


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この「歯痛狛犬(はいたこまいぬ」さん、すごいでしょ


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昔々、歯医者さんがない頃から、虫歯とかで歯が痛い人は
この狛犬の口に飴をいれて祈願すると、不思議と痛みが治まる。
その噂は大変評判になり、全国から救いを求める人々が押し掛けたとか


境内には金比羅様や大黒様も祀ってあり、この神社の中は不思議な気に
包まれています。
昨年5月にお参りして以来、なんとなくいいこと続きでしたので
年が明けて早くお礼参りに来たいと思っていたのが実現。

また今回は、福岡から観光で来たカップルと一緒にお参りしました。
彼のお仕事の成功と、彼女の夢がいつか叶いますように

この神社は長崎の丸山の中にあり、
昔からたくさんの人たちの恋愛成就や商売繁盛を
見守ってきたところです。

天神信仰のあつい高杉晋作も、きっとお参りしたことでしょう。
彼は長崎で、置屋の女性を身請けしたといわれてますからね
藩から英国渡航のために千両引き出して、その大半をそういうことにも
使ったようです。

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さて、この丸山花街にはたくさんの妓楼があったのですが、
「長崎ぶらぶら節」という幕末に唄われていた歌の中に

「遊びにいくなら 花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて
 丸山ぶらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう」

というのがありまして、その「中の茶屋」を訪れてみました。
梅園身代わり天神を出て坂をあがると、すぐ上がここです。


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地元の方は、「中ん茶屋」と呼んでいるようですが、
ここは江戸時代中期に遊女屋「中の筑後屋」という
ところでした。
長崎には外国人も多くいましたから、内外の客が好んで
遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際には、お奉行様たちの
休憩場所ともなっていたそうです。

ほぼ江戸時代のままの庭園です。

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お茶屋の2階から見たところ

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お庭からみた、建物は


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一度火事で全焼したので、昭和51年に復元されたそうです。
中はとてもきれいでした。
ガラスもなるべく古いものを入れているのですね。
レトロな趣きがあって感じがいいです。


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この絵、懐かしくないですか
昔のテレビCMで 黄桜のかっぱシリーズありましたよね。
この絵を書いた人は清水崑さんという、長崎出身の画家でありました。


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原画ばかりなので写真撮影はできませんが、中の茶屋は
清水さんの展示館にもなっています。
かっぱが、くんちや精霊流しなど長崎のイベントにたくさん
描かれています。面白いです。


 中の茶屋

 長崎市中小島1丁目4-2  9〜17時まで 月曜休み
   交通機関は電車で思案橋停下車 徒歩10分
        バスで思案橋バス停下車 徒歩10分

 近くのおいしいお店

 昨夜、長崎駅前の居酒屋「亜沙(あさ)」さんに行きました。
 長崎はお魚がすごく美味しいんです。

お刺身盛り合わせ〜  (新鮮でコリコリ)


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今日のおすすめの「いわし」 
梅肉イン海苔巻きの天ぷらで! 骨センペイも食べやすくてgood

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長崎名物「ハトシ(エビのすりみをパンにはさんで揚げたの)」とか
「豚の角煮」とか、どのお料理も美味しく、しかもボリューム満点で
リーズナブル。 長崎駅すぐ近く、おすすめです。
出張で一人でも大丈夫 店員さんも感じよくアットホームですよ。


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 魚店 亜沙 うおだな あさ

  長崎市大黒町10-2  TEL 095-832-8220

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長崎・崇福寺 夢の跡

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竜宮門ともよばれる長崎崇福寺の入り口。
ここから、龍馬伝での印象的なシーンの探索を始めたいと思います。

崇福寺、このお寺は
嘉永6年(1629)長崎に在留していた福州人たちが、
故郷の福州の僧侶・超然を迎えて造ったそうです。
中国・明の末期〜清の初期の南支建築様式をそのまま輸入
したもので、日本では他に例がないという造り。
シルエットがとても美しいです。日本のお寺の雰囲気と全然違う。

以下、色んな角度から境内をとりましたのでみてください。

写真はクリックして頂くと大きく見えますよ。


唐門、赤門ともよばれる第一峰門。
国宝だそうです。


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テレビで見た時は、かなり広い境内に見えましたが、
案外こじんまりしてたのがオドロキ

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ここドラマの中で晋作、俊輔、聞多たちが
またいだところの敷居ですね。

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このお寺の柱は、「垂花柱」といって、お花のような造りの上に
柱が立っているというのが特徴です。


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ご本尊は釈迦如来ですが、さすが中国のお寺だけあって
三国志で有名な「関羽」が祀ってある護法堂などがあります。


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1862年(文久2)1月2日、高杉晋作は上海行きを命じられ
長崎に向かいます。
それから、4月29日に千歳丸が長崎港を出発するまでの約100日、
丸山で遊び呆けていたばかりでなく、英会話の勉強もしたそうですよ。

『動けば雷電のごとく 高杉晋作』 海原徹 著より

  高杉は、清国行きを効果的にするため色んな準備を
  しているが、とくに海外の事情に詳しい人々を訪ね 
  情報収集に務めている。
  崇福寺に滞在していた宣教師のウイリアムズや
  ペーパーバックに、アメリカの南北戦争や清国の
  内乱の最新情報を聞き、またアメリカには日本の
  ような身分制度はなく、ワシントンのように能力
  さえあれば、誰でも大統領になれるなどを聞いた。


英会話を習ったり、フランス、ポルトガル、アメリカの領事を
訪ねたり、延々と続いた長崎滞在も得るところが多かったようです。


崇福寺もすごいパワースポットだと感じましたが、
なんといってもこの「赤色」の美しさが
精神を高揚させる力になっているのかもしれません。


ビデオで「龍馬伝」の崇福寺のシーンを見返してみると、
境内にたくさんのランタンが飾られていましたが、
あれは毎年2月3日〜行われる「ランタンフェスティバル」で
見られるそうです。その頃訪ねてみられるのがおすすめですね。


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崇福寺
 長崎市鍛冶屋町7-5  思案橋電停近く
  入場料が300円いります


<番外編>
崇福寺の中にお土産やさんがあります。


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福山雅治さんの「福」にあやかった、コウモリ柄のお札が
大人気だそうです。商売繁盛ウケた

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 近くのおいしいお店

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お昼時だったので、お寺の前の通りで
お店を探しました。

「いわもと」という和食のお店。崇福寺から50mくらい先
長崎市鍛冶屋町5-75  TEL 095-824-5151


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<お昼御膳> これにわらび餅のデザートがついて1000円
長崎名物のかまぼこやごどうふなど、
一品一品、丁寧な手作りでとても美味しかったです。
土日もランチをやっているそうなので、おすすめ!

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またまた 長崎の元気がでる所

今日も出張の合間、さわやかな秋晴れだったので
長崎の出島ワーフに行ってみました。

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ここは古い長崎の港。
そう、高杉晋作らを乗せて
「千歳丸」が上海に向け出港したところです。
彼は死ぬ直前にも、もう一回上海に渡ろうとして
ここに来ていますね。

今は、ウオーターフロントとしてきれいに整備されていますが、
この岸壁は当時のままだそうですよ!

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対岸に見えるは稲佐山。(福山雅治くんがコンサートした所ですよ)
高杉さんも、この稲佐山を眺めながら、
期待に胸をふくらませて上海に旅立ったのでしょうね。

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大正時代の港の写真が、看板の中にありました。
長崎〜上海航路で大変賑わった港だったようです。


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しかし、今はヨットが泊っていたりするウオーターフロントなので
商業施設が並んでいます。

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歩いているとこんな看板を見つけました

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そう、長崎の名物に「トルコライス」というものがあるんです。
ちょうどお昼時だったので、入ってみることにしました。
実は、以前から一度食べてみたいと思ってた
頻繁に長崎には来てるのに、初体験です。
出島ワーフの「西洋亭」さん。

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じゃ〜ん
 
  ランチタイムなので、このボリュームで820円!

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トルコライスのいわれ

「和・華・蘭(わからん)」という長崎のエキゾチックな文化。
ピラフ(焼き飯:中国)ととんかつの下にかくれているのは
パスタ(ヨーロッパ)。双方の間に橋をかけるとんかつ。
まさに西洋と東洋の間に位置して双方の輝かしい文化をあわせもつ街、
イスタンブールがあるトルコのようという意味をもつ、この一品。

大袈裟な能書きですが、ま、普通に美味しかったです。
トンカツやさんがやっている、ということで確かに、とんかつは美味

長崎市内のあちこちに「トルコライス」のメニューをもつお店が
ありますが、以前どっかで「龍馬も愛したトルコライス」と
書かれてました  嘘つけーー

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お店の中から、こんな感じで海を眺めながら食べるトルコライス。
この港でいにしえの高杉晋作に思いを馳せながら、
フォークでパスタをくるくる

West meets East
どっかの商品のキャッチコピーにあるような、
そんな奥深い体験でございました。

長崎に来ると、なぜかいつもテンションがあがります。
今日もトルコライスのおかげなのか、
海を見にやってきたからか・・・


さてさて、もうちょっと時間があったので
大浦おけいさんにゆかりがある場所に行ってみました。
今、NHK「龍馬伝」で余貴美子さん演じるお慶さん、
すごく好きです。
好奇心旺盛で、たくましい
あの時代に女性で、アメリカに大量のお茶を売るという
大商いをして、坂本龍馬たちのスポンサーだったって。
そういう彼女が一生懸命お参りをしていたのが「聖天堂」です。


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建物は当時のままだそうです。中国風な感じもあり、
古くてしっとりしてとても素敵でした。
正面はこちら


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ここのご本尊・歓喜天(かんぎてん)は、頭が象、身体は人という
男女が抱擁する形で、大変めずらしい。インドヒンドゥー教の神様で
商売繁盛・夫婦和合・子授けの神様だそうです。
男好きだったというお慶さんにぴったりですね。

しかし、この聖天堂は、本当は「清水寺」の敷地内にあるんです。
京都清水寺とつながりがあるそうで、このお寺の下には
八坂神社まであります。京都祇園?と思ってしまう不思議な一帯。


聖天堂から石段を登って清水寺の入り口に向かいます。
日本にあるのに、シルエットがなんとなく中国風。
そう、上海の豫園で見たような・・・


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上がると、長崎の町が広く見渡せる絶景なお寺です。
真ん中の灯籠がユニークな造り。

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観音様やお不動様のある真言宗のお寺です。
そうそうゆっくりもしていれなかったので、
また改めてお参りに来ようと思いました。

お慶さんにあやかりたいものです

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長崎山清水寺

 長崎市鍛冶屋町8-43   電停「正覚寺下」より徒歩5分
                崇福寺からも近いです。

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5/27 長崎のパワースポット発見!

長崎出張で、新地の近くのホテルに宿泊。
そこで、朝のチェックアウト前に丸山あたりを散歩してみることに。

思案橋通りという電車通りに「ホテルハミルトン」があります。
その建物の横に、見落としそうな坂の入り口があります。
これが本当の「オランダ坂」ということなのですが!

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鎖国時代、出島オランダ屋敷の出入りを許されていた丸山遊女たち。
この坂を通り、電車通りにあった玉帯川から船で出島に行っていた
そうで、そのオランダさん行きの遊女が通る坂、という説。

もうひとつは、西洋料理店へ行く外国人たちが通っていた坂、という説。

幅の狭い坂(階段)を上がって、標識をたよりに進んでいくと
「梅園身代わり天満宮」があります。
このあたり、このお家は当時のままじゃないかな、
という風情が残っています。

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鳥居をくぐると、ちょっと笑える立て札があります。


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「お参りが先、観るは後」
ホント、その通りです。
なんかここは、すごいご利益がありそうな「気」があふれてました。
でも、まずは本殿でお参りが先ですね。

ここは遊女や芸者さんが多く参拝。もちろん幕末には志士たちも。
高杉晋作も篤く天満宮信仰をしていたということなので、
こちらにはきっと参っていることでしょう。
ここには、お稲荷さんや金比羅さんなどたくさんの神様が
いらっしゃいましたが、私、すごい感じましたよ。
地元の方が、ちょうど参っていらしたのですが、
「ここの神様は何でも願いをかなえてくれますよ」と
教えてくれました。
なんでも第二次大戦時、丸山町の出征を命じられた人たちは
必ず参拝し、身代わり天神様によりすべて無事帰還されたそう。

すごく地味なスポットですが、ぜひ訪ねてみてください。
私自身は、本当にビビビっと感じたところでした。
きっと商売繁盛かなうことでしょう
今度長崎に来たら、また行きたい所です。


さて天満宮を降りて、こんどは料亭「青柳」の前に行き着きます。


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その前から丸山公園につきあたるような道が見えます。


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路地の紫陽花がみずみずしく、この道をまっすぐ行くと丸山公園。
公園になる前は、寄合町の遊郭があったそうです。
昭和18年に火事で消失して、昭和32年に公園ができました。

さて、料亭・青柳の下には
長崎丸山花街跡という碑と説明書きがあります。

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「長崎の恋は一万三千里」といわれていたそう。
丸山遊女と阿蘭陀人、唐人の間に数多くの恋物語がありました。
寛永19(1642)年に丸山というこの地に遊里が生まれ
1688年〜の元禄時代の最盛期には1443人もの遊女が
いたそうです。
昭和33年(1958)に売春防止法により、その火が消えたと
立て札には書かれてありました。
しかし、出島と並んで由緒あるこの丸山の地は
その歴史とともに忘れられてはいけませんね。

続いて発見した「忍び坂のお大師さん」 船大工町大師堂です。


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ここは、丸山花街へ通う坂の途中にあります。
当時、お忍びのご仁は、その秘密を守って頂くように
手をあわせていたのでしょう。
今では秘めた思いを叶えてくれる、のだそうです

そして最後が 梅香崎神社 旧地名は本籠町(もとかごまち)にあります。

ここも天満宮で、菅原道真を祀っています。
入試合格など、学業の神様です。

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社殿の天井は極彩色、これは新地中華街の影響?
往時はとても華やかだったでしょうね。

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新地のホテルから歩いて帰って、約1時間。
朝の散歩として清々しく、大変充実したウオーキングでした。
おすすめです。
なんといっても、このあたり幕末の雰囲気がそのまま味わえる。
それが魅力ではないでしょうか

最後にボーナス画像、あるサイトで無料でダウンロードできました。

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5/21長崎 グラバー邸から花月へ

今日はまた長崎に出張でしたが、空き時間があったので
グラバー邸に行ってみることに。
小学校の遠足以来だから、○○年ぶり!
公園内にエスカレーターが設置してあったり
まさに龍馬伝ブームの中、様子が随分違ってました。

トーマス・グラバー
1838年スコットランドで生まれた彼は20歳の頃
一攫千金を夢見て上海に渡り、その後安政6年(1859)に
長崎へやってきたそうです。

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1861年独立してグラバ−商会を設立した時、
長崎のお茶を輸出するのが主な仕事でした。

会社が飛躍するのは日本の政情が急展開してから。
つまり、グラバーの名前が有名になったのは
薩長を始めとした倒幕の雄藩に武器や軍艦を売ったからです。
もちろん幕府にも売っていました


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グラバー邸には高杉も訪ねています。
グラバーの紹介でイギリスに渡りたかったのです。
藩から1000両もの大金を引き出し、伊藤俊輔(後の伊藤博文)を
伴って長崎へ行きます。
高杉と伊藤、英国領事館のラウダという通訳とで会談しました。
ここで、グラバーは難色を示します。
密航してくる一地方の日本人をイギリスが受け入れるのは難しい、
また今は外遊などしている場合ではない、下関を貿易港として
開港すべきだという理由でした。
説得された高杉は再度下関に帰り、開港の準備を進めました。
ところが、それを面白く思わない身内の攘夷派にまたも命を狙われます。

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平成のグラバー庭園は穏やかな空気に包まれています。
洋館の前には、季節ごとにお花が植え替えられるようで・・・
今日は淡いピンクのあじさいが中心でした。

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こちら、入り口に植えてある大きな蘇鉄は
島津公から、グラバー邸への新築祝いだったそうで
すでに300年くらいの樹齢だとか!
びっくりするくらい立派で、当時、かけがえのない
薩摩と英国の関係を象徴しているかのようです。


 グラバー園
開園/8:00〜18:00 休園日なし  
長崎市南山手町8-1  TEL095-822-8223

さて長崎滞在中、イギリスの商社にわたりをつけるために伊藤は奔走、
高杉はといえば、酒楼で酒を飲み続けていたとか!
だって藩から引き出した1000両があるのですから。
かつては遊里、今は史跡料亭になっている「花月(かげつ)」です


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井原西鶴が『日本永代蔵』に書いているそうです。
「長崎に丸山という処なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」
国際色豊かで、幕末の志士たちもうっとりする憧れの色里だったよう。
380年以上たっているという建物ですが、そんな古さを感じさせないほど
しつらいも調度も美しく黒光りしていました。


今も料亭として地元の方だけでなく、全国からお客様を呼ぶ
花月さんですが、玄関に入るとすぐに飛び込んでくる写真が!

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左から「高杉晋作」「坂本龍馬」「岩崎弥太郎」です。
こちらの方々は、この丸山花月の上得意さんだったようですね
特に2階の大広間は、坂本龍馬のつけた刀傷が
床柱に残っているところから、「竜の間」といわれています。

毛利のお殿様から、ある日
「晋作、そちは何が一番好きか?」と聞かれて
「おなごにございます」と答えたという高杉。
お殿様はびっくりして、「どのようなおなごか」と聞き返したところ
「長崎は丸山、京は島原、江戸は吉原におります」と
悪びれず答えたとか・・・

今もこの花月さんでは、
卓袱(しっぽく)料理と丸山検番の芸妓さんたちとのお座敷遊びも
体験できるそうです。行ってみたいなー

史跡料亭 花月(かげつ)
 長崎市丸山町2-1
 TEL095-822-0191


 近くのおいしいお店


前から噂に聞いてて、やっと行けました、
康楽(かんろ)の長崎ちゃんぽん


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すごい具沢山、これぞちゃんぽん!っていう感じでした。
人参をバットマン(こうもり)のカタチに切ってました。
15種類以上の具が入った「そぼろちゃんぽん」 1260円
スープはあっさりめです。

思案橋近く    康楽 TEL095-821-0373

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