下関

2016年の総括その1〜高杉晋作150回忌〜

かなりブログ更新をお休みしておりました。

最近はfacebookの投稿ばかりでしたが、やはり記念として残る
ブログは書いておかないといけませんね。
今年2016年の1月1日に、「高杉晋作没後150年記念」の
HPとFBページを立ち上げたのでした。
ポスターはこんな感じです。
4月14日から17日までの4日間、下関市内で東行忌をはじめと
していろんなイベントを行ったのです。
私、記念事業の総合企画とプロデュースをさせて頂きました。
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4月14日はかねてから計画されていた、高杉晋作墓標記念碑の
除幕式、そして、「墓前で芸妓を集めて三味線をかき鳴らしてほしい」と
いう高杉さんの願いを叶えるべく、京都・嶋原から「葵太夫」をお迎えして、
舞を奉納していただくという二大プログラム! 150年にして、高杉さんの
夢が叶った日となりました。
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葵太夫さん、素晴らしかったです。
奉納されたのは「黒髪」という曲、逢いたいけど逢えない、別れた
人を思うせつない曲。まさに高杉さんへのご奉納にふさわしい。
約7分ちょっと、お墓の周りにはたくさんの人がいましたが、曲の
歌と時折鳴くウグイスの声のみが聞こえる、なんとも不思議な
空間となりました。
踊りを終えた葵さん曰く、「高杉さんのお墓の前でしたが、途中で
お座敷に高杉さんがお酒を飲みながら見ている姿が現れました。」
ですと! 高杉さん、喜んでくれたのですねhappy01
いつも通りの読経で始まる東行忌。今年は、高杉家ご一同のご焼
香がありました。こちらも初めてのことで、感激です。
これは庵の中での、オフショットであります。
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そして、みんなで撮ったショットはこちら!
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お天気にも恵まれ、素晴らしい法要となりました。
しかし! 
この朝の感激が醒めやらぬ、同日の21時26分、あの熊本の大地
震が起きたのでした。私は下関にいたのですが、福岡であった西方
沖地震を思い出すような嫌な予感がしました。
そして、1日おいて15日の深夜、マグニチュード7の本震が起きた
のです。その朝は土曜日。
この日は今回のイベントの目玉である「東行先生へのオマージュ」と
いう講演会とトークセッション。そして夜は「晋作ナイト」として、全国
から来てくださるファンとの懇親会の予定でした。
夜中の揺れに飛び起きた私でしたが、不安なまま迎えた、16日の
早朝です。
電話が鳴りました。
トークセッションのゲストである白石正一郎氏の子孫、白石明氏
でした。「地震被害により緊急の仕事に向かわなければならなく
なりました。今日の下関入りはキャンセルさせてください。」
地震は、ゲストのキャンセルだけではなく、当日、九州各地から来ら
れる予定だった晋作ファンたちも足止めという事態を引き起こしま
した。久しぶりの再会を楽しみにしていただけに、とてもショックで
した。
しかし、熊本現地はもっと大変なことに・・・
状況をニュースで見聞きするとその悲惨さに言葉がありません。
なんとか落ち着こうと自分に言い聞かせながら、ドリームシップと
いう現場へ向かいます。まだ何か起きるのではないか・・・
不安を覚えながらも、会場に入ってステージの看板を見たときには、
ちょっと 感無量でした。
リハーサルを終え、いよいよ開場。どれだけの方が来られるか心配
でしたが、なんとなんと、300人満員御礼でした。中には立って見て
おられる方もいたくらいです。
また全国から来てくれたお仲間が、受付までお手伝いしてくれました。
ありがたかった〜!
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吉田みどり保育園の園児たちと先生たちによる、「花の奇兵隊」の
踊りで幕を開けました。
次に、東京から駆けつけてくれた、熱血天使の山崎愛実さん、沖村
彩花さん、菅沼結花さんによる語り芝居のパフォーマンス。
その熱演は、会場の皆さんの感動をよびました。
続いては古川薫先生の記念講演、そして京都嶋原の司太夫の
「花街の四方山話」と題した記念講演。お二人のゲストのお話は
大変素晴らしく、またなんと 司さんの京舞が披露されました。
嶋原太夫のお座敷の舞が下関で見られるなんて、会場のお客
様もみんな大喜びですheart04
「京の四季」という曲で、桂小五郎を匿った幾松が、新撰組の近藤勇
の前で踊ったというエピソードもある曲です。
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そのあとは、東行庵の庵主さま、そして歴史研究家の竹本知行
先生をお迎えして、下関総合図書館長の安冨静夫先生のコーディ
ネートでトークセッションが行われました。
ここに、白石さんが入られる予定だったんですけどねweep
さて、ドリームシップでのトークイベントが終わったあとは、シーモール
パレスに場所を移して、「晋作ナイト」のスタートです。山口県酒造
組合18社から、自慢のお酒を取り寄せて、晋作さんと一緒にみんなで
楽しもうという趣向です。
まずは、150回忌によせて、演武の奉納です。


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北は北関東から、南は鹿児島まで。
下関には何度も来てくれている、素敵な仲間たち!
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ナイトの中では、プロミュージシャンのJoker高広さんや
内田祥文さんの奉納ライブなどもあり、とても賑やかで
楽しい雰囲気のなか、無事終了しました。


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参加者の皆さんに差し上げたオリジナルの記念品。
長崎の波佐見焼でオーダーしたものです。
山口県のお酒もこれで楽しんでもらいました。

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翌日の17日は、西鉄旅行ツアーで、市内のゆかりの地を訪問。
何度行っても、みんなと一緒の史跡めぐりは毎回違う感動。
ご案内は、スーパーガイド平松資朗さんです。


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そして、このイベントの様子は、山口新聞で紹介されました。
「晋作の思い」だけど、みんなの思いで出来た、150回忌の
記念行事でした。
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その後半年遅れで、やっと記念誌も出来上がりました。
これは、地元の企業さま、そして全国のファンの皆さまからの
お志で出来た賜物です。
本当に、本当にありがとうございました。

未曾有の大地震もあり、波乱の150回忌となりましたが、
「晋作の夢 仲間たちの夢、 今を生きる私たちの夢」
まさに、バトンが受け継がれて、次の世代へとつながる
記念事業となったのではと思います。
関わってくださったすべての皆さまに感謝です。
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最後に・・・
記念誌は寄付をくださった方にお送りしたのですが、
下関市内の図書館、山口市図書館、萩市図書館などでも
閲覧できます。


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野村望東尼 150回忌に向けて

 高杉さんの150回忌の記念事業が、4月14〜17日までの4日間、 下関で 行われました。これについては、また落ち着いて書こうと思います。

そして、同じ慶応3年11月6日に亡くなったのが、望東尼さまでした。
今年の平尾山荘での法要では、高杉さんに着物を渡す、例のシーンを
デザインしたレリーフが完成して、その除幕式があるそうです。
高杉さんが平尾山荘に潜伏したのはわずか10日間。
しかし、この出会いが二人の運命を大きく変えました。そんな二人の
感動の物語を、「語り芝居」という形で演じることになりました。
女優の岩城朋子さんは、七色の声をもつということで、多くの物語を
一人で演じわけます。今回の脚本も岩城さん自身によるものです。
物語は功山寺決起からスタートします。高杉さんの人生のハイライ ト
シーンが多くの人との絡みの中で進行します。
ぜひ、ご覧ください。
Bweb
 初演は、なんと下関の亀山八幡宮で8月9日(火)18時からと
なっております。
主催は「海峡の裏町文化塾」  お食事付きで、参加費は5000円です。
塾長の大越清美さんまで、お問い合わせはお願いします。
090−3170−9119

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150回目の東行忌 / 平成28年4月14日(木)

  今年の4月14日は、高杉さんの第150回忌法要となります。今年の法要はスペシャルなことがたくさんあります。遺書に書かれた願いを150年目に叶えてあげたいという思いからです。元治元年12月の功山寺決起直前、高杉晋作は友人の大庭伝七にあてての遺書です。長文の手紙ですが、さんざんお世話になった大庭へのお礼も込めて、万感の思いでしたためています。


その後、長々とご無沙汰致しまして、恐縮しております。私も、
いまだ、自らの死に場所を得ることができず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知のとおり、両殿様(藩主父子)の御身に迫っている危難を思いますと、このような状況を招いた我々臣下一同、死をもってしても、余りある状況でございます。

先日、長府に出張した折に、一言も御相談申上げなかったことにつきましては、心に深く思うことがあったからなのです。ですから、何卒、悪くお思いになりませんよう、お頼み申し上げます。私も毛利家恩古の家臣ですから、今日に至って、士民(武士と民衆)を同一視するような気持ちは、これっぽっちもございません。このことは、兼ねてからご存知のことと思います。
讒言(ざんげん)により、長府公(長府藩主・毛利元周)も、私たちのことを、色々と悪く思し召されていることが、残念でなりません。さりながら、人生の事は棺(ひつぎ)のふたを覆った時に、はじめて定まるものだと申します。ですから今の段階で、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公(毛利元就)の血を引く正統な府公でございますから、たとえ、私を追討せよと仰せられたとしても、露ほどもお恨み申し上げたりはいたしません。とは言え、できることなら、私の思いを、私が生きているうちに、府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから、おいおい嘆願書を差し出すつもりでいます。
野々村君たちのことも、悪く仰せになりませんよう、お願い申上げます。私たちが長府城下を離れておりましたのは、長府公のことを深く思ってのことです。それなのに、この思いとは裏腹に、讒言を受けるにことにつきましては、甚だ遺憾に思っております。死んだ後でなくては、到底明白にはなるまいと、覚悟を決めた今の心境を、是非ともご推察頂きたく願い申し上げます。
私がもしも馬関で死んだなら、招魂場へお祭り頂けますよう、お願い申上げます。
私だって個人的な情愛を持たぬ人間ではございませんが、国家の大難が胸中を火のように焦がしているために、ついつい小事を忘れていたものとご推察頂けますようお願い申上げます。筑前以来お世話になり、また馬関へ帰って後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら、一言も申し上げず馬関を出ることは、無情のようではございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。
ご家族も、道理を知らぬ者と、私のことを悪くおっしゃっることと思いますが、私に代わってご弁解頂けますようお願い申上げます。また、筑前で、野々村から5両を拝借しておりますが、まだ返却できないでおりますので、その件につきましてもよろしくお伝え下さい。なお、御珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は、陣中の楽しみとすべく、勝手に持ち去りましたので、そのようにご承知頂けますようお願い申上げます。
前文でも申し上げましたように、赤間関の鬼となり、討ち死に致しますので、
別書の通り、墓碑を建てて頂けますよう、ご面倒ではございますが、お願い申上げます。井上小輔、三好大夫へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にも御無沙汰しておりますが、よろしくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死んでも、恐れながら天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。入江角次郎も御地へいらっしゃるとこのとですので、このことをお伝え頂けますようお願い申上げます。
私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らして、お祭り下さい。また、別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。



故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之助也

毛利家恩古臣高杉某嫡子也
月 日

売国囚君無不至 捨生取義是斯辰

天祥高節成功略 欲学二人作一人
国を売り君を囚(とら)え至らざるなし
生を捨て義を取るはこれこの辰(あした)
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作(な)らんと欲す
国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。
命を捨てて義をつくすのはまさにこのときである。
文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した明の謀臣)の策略と、
2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。

申し上げたことはございませんが、私は、あなたが誠の心をお持ちの方だと知っております。だからこそ、このようなことを申し上げるのです。御他言は無用に願います。もし、あなたが幽囚の身になるようなことがあれば、入江角次郎に、このことを伝えて下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。 伝七様 梅之助
墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件につきましても、お願い申上げます。また(□□不明)の内は、この書状を他人へ見せた場合、もはや、あなたのことを知己と思うことはできません。以上は、筑前で酔いつぶれ、ふと思い起こして認めたものです。 

大庭伝七様へ 谷梅之助

 

この遺書の赤字で記したところが、150年を迎えて実現します。

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詳細は東行庵のHPでご覧ください。

当日、その墓誌碑の除幕式、そして京都島原の葵太夫さんの

墓前での舞の奉納があります。

150年の今年、ぜひ多くのお参りをいただきたいなと

思います。

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高杉晋作没後150年記念事業の事始め

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久しぶりにブログをスタートします。
今年は、高杉さんの150回忌ということで、昨年から有志の人たちと
下関で実行委員会を立ち上げました。
そして、今こんなプロジェクトで東行忌と、記念事業を行おうとしています。
詳細はこちらでご覧ください。
この晋作さんのイラストは、講談社コミックの『百花春風抄』の作者・朔田
浩美先生の書き下ろしを頂きました。目力のあるかっこいい晋作さん。
そのパワーでいろんな奇跡を起こしています。
原画はこれ
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着流しに扇を持つ晋作さんは、かっこいいだけでなく、ちょっと切ない
エピソードがあったのではと思うのです。
それは葉室麟さんの小説 『春風伝』に描かれていました。
幕府との戦いの時、軍艦に乗り込む海軍総督・高杉晋作はこの出で
立ちでした。
「え!? その格好でですか?」と驚く周りの隊士たちに、「なーに、幕府の
ような鼠族を退治するのにはこれ1本(扇)で大丈夫。」と言った高杉さん。
しかし、その時には彼の身体は随分蝕まれていて、甲冑などをつけるには
耐えられないほどだったというのです。
真偽のほどはわかりませんが、起き上がるのも一苦労だった病状からいけば
十分考えられることですね。
その肩に藩の運命を一身に背負って強大な幕府軍と戦った、長州の英雄。
150回忌には、彼のやり残したこと、夢見たことを、みんなで語りたいと
思います。そして、次の世代につなげるために、多くの人に知ってもらいたい。
東行忌まであと一ヶ月。
全国の高杉ファンの皆さま、下関でお会いしましょう。
4月14日の東行忌はもちろん、15、16、17日と3日間、市をあげての事業で
全国の皆さまのご来関をお待ちしています。
それから、イベントはすべて有志の皆さまのお志でやり遂げたいと頑張って
います。
寄付も募っていまして、全国の方からお申し出もいただいています。
寄付いただいた方のお名前は、事業終了後に作成する「150年記念誌」に
掲載させて頂きます。
詳しくはこちらから。 http://tougyou.com/pickup/kyousan
どうぞよろしくお願いいたします。

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今年の東行忌ツアー、募集します!ぜひご参加くださいね。

久しぶりにブログを書きます。長い間お休みして申し訳ありません。
でも、今度の4月の東行忌ツアーの下見など結構忙しく
晋作さんと関わっておりました。
「2017年晋作伝」というプロジェクトの中で、土日にかかるのが
今回最後ではないでしょうか。それで、泊まりがけのツアーを催行
することになりました。
one維新胎動の地・萩
two維新策源の地・山口
three維新回天の地・下関
という感じで、まさに長州のトライアングルをなしているのですが、
今回は②と③をまわります。ぜひお見逃しなく!でございます。
小高い山の上から見渡した、策源の地・山口市です。
山あいには萩往還という道があります。
萩から政事堂のあるこの山口には、晋作始め桂小五郎や久坂玄瑞など
長州オールスターズが萩往還を通っています。
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そして、下見で行きましたが、毛利敬親公お気に入りだったと
いう外郎屋さんがあります。ツアーでは寄れないので、ここで
特別公開。 当時の絵もあわせて御紹介します。
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まさにこの建物が残っています。
ガイドさん曰く、「晋作も買いにきたでしょうgood
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さて、山口には幕末以外にもたくさんの史跡が残っています。
昔は大内氏の都で、あのフランシスコ・ザビエルも訪れたほどです。
大内義隆の菩提寺・龍福禅寺があります。
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大好きだった家臣・陶賢晴に滅ぼされてしまうんですよね。
勘合貿易などで強大な権力と栄華を極めた大内氏でしたが、
諸行無常であります。
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ツアーは幕末関係だけで盛りだくさんのため、大内氏関係は
瑠璃光寺くらいしか予定できません。
なので、ここでちょっと御紹介させて頂きました。
詳しい内容は、下記の西鉄旅行のお申し込みサイトで
ご覧ください。たくさんの皆様にお会い出来るのを
楽しみにしています。
ぜひぜひ、ご参加お待ちしてま〜すheart04wink

東行忌・西鉄旅行

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中山忠光卿を祀る中山神社

皆様あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

私は実家が下関ですので、今年は地元の氏神様と幕末志士
ゆかりの神社に初詣に行きました。
その中で、今回初めて宝物殿にも入ってみた中山神社を
御紹介してみます。
下関市の綾羅木(あやらぎ)という町にあります。
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中山忠光卿は孝明天皇の皇后にあたる中山慶子(よしこ)様の弟君で、
明治天皇の叔父さまにあたるわけです。
皆様ご存知の通り,
過激な公卿として急進的な尊王攘夷を唱え、ついには官位まで辞して
天誅組を結成しました。
しかし文久3年の8月18日の政変で七卿も落ちる、忠光卿の天誅組も
名分を失い、朝敵の汚名を受けることとなります。
その後長州に落ち延び、山陰を転々とされますが、ついに元治元年
11月8日の夜、田耕村で俗の凶手にかかり、19歳と6ヶ月という
短い生涯を終えられました。
当時からこの村では、箝口令がひかれ、忠光卿の暗殺に関しては
今もほとんど語られず・・・
陸路なのか海路なのか、忠光卿の遺骸は、この神社近くの庄屋さんの
お家にしばし安置されそれからここに葬られたという、なんとも寂しい
お最期です。
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宝物殿がありまして、なんと、タダですsign01
でもちゃんとお賽銭はいれましたよ。
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私の目を釘付けにしたものがありました!
蛤御門で長州軍が使用した長櫃ですって!
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長州藩士たちが、武器等をいれた長櫃なのでしょうか。
まわりがところどころ剥げているものの、とても立派な
造りの、堂々としたものでした。
これだけでもかなりの重量があります。
これを京都まで戦争に持っていったのかと思うと、
なんともいえない感慨があります。
下の写真は正殿ですが、ここに中山忠光朝臣命
左殿は明治天皇
右殿は天照皇大神
とお祀りされている由緒正しい神社なのです。
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また余談ですが、中国清朝最後の皇帝の弟君・溥傑様の
愛新覚羅家をお祀りした社殿もあります。
日本からお嫁に行かれた浩様が有名ですよね。
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こういう内容です。
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今年は、文久3年から数えて150年目の年にあたります。
下関では攘夷戦争がおこり、高杉晋作が白石正一郎さんと
出会い、奇兵隊創設を果たした・・・
ブログでもそんなことにまつわる情報を追っていきたいと
思っています。
今年もご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたしますhappy01

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2012年は晋作伝プロジェクトの元年でした

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朝から雪が降りしきりうっすら積もったのは、ちょうど
クリスマスイブの12月24日でした。
功山寺の雪景色! 
元治元年、高杉晋作のもとに集まった隊士たちがつけたと
いわれている梁の刀傷です。
白い息を吐き、寒さと興奮に震えながら、刀を振り下ろし
自身を奮い立たせていたのではないでしょうか。
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功山寺に今年は何度訪れたことでしょう。
春の東行忌から始まり、今年は「2017年晋作伝・
功山寺決起記念 キックオフミーティング」を開催したのが
12月の8日でした。
全国から晋作ファンも駆けつけてくださり、シンポジウムや
パネルディスカッションなどで晋作さんへの熱い思いを語り
あいました。
今年はfacebookでの情報発信が多くなりました。
facebookされていない方も、イベントの様子など、ぜひ
こちらのページでぜひご覧ください。
  pencil高杉晋作ファンサイト
http://www.facebook.com/takasugifan
来年は、「攘夷戦争150年」そして「奇兵隊創設150年」という
大きな節目の年です。
『高杉晋作と仲間たち』というテーマで、引き続きプロジェクトを
続行していく予定です。
今年一年もご愛読頂きまして、本当にありがとうございました。
今年度の投稿はこれが最後です。
また来年も楽しいツアーや、長州あちこちでおこるイベントなどの
情報もお知らせしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいね。
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2017年晋作伝プロジェクト

1年前からfacebookを始めまして、そこで高杉晋作ファンサイト というページを作り、ブログや日々のいろんなことを綴っております。

ご存知の通り、2017年は高杉晋作の没後150年になります。
3年前このブログをスタートする時に、悲願がありました。
ドラマ化実現や、県全体で高杉晋作を盛り上げて行くなど
そんな夢をカタチにしていこうと・・・
いよいよ『2017年晋作伝 キックオフミーティング』が
今週の土曜日に行われることになりました。
facebookのお友達も、北関東から南は鹿児島という
全国から参加してくださることになりました。
本当にうれしい限りですhappy01
12/8(土)は、東行庵で15時〜18時まで。
基調講演やパネルディスカッションなど。
そして、春帆楼に場所を移して、懇親会です。
サプライズの催しもたくさん用意しつつ、皆様を
お迎えする準備を楽しくやっています。
9日(日)は、午前に功山寺決起記念祭にみんなで参加して
その後桜山神社や、厳島神社など主な晋作史跡を巡る予定です。
まだ参加は受付ていますから、この土日下関に来れそうな方は
ぜひ西鉄旅行までお申し込みください。
詳細、お申し込みはコチラですsign01
桜山神社にある一刀彫の高杉晋作像。
こちらも秘蔵の像なんですが、今回特別に見せて
頂けるかも! すごい迫力なんですよ。
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晋作さんの回天義挙の像のもと、全国のファンの皆様との
楽しい交流を心待ちにしています。
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東行楓(とうぎょうかえで)樹齢300年

東行庵にある「東行楓」、その全貌が見えましたsign01
反対側の道路から見ると、まさにその大きな木が
一番鮮やかな色になっているではないですか。

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11月18日の秋晴れ、功山寺、長府毛利邸、そして
東行庵と紅葉に誘われて出かけたのです。
燃えて燃えて自身を真っ赤に染めて、と高杉の生き様を
表すかのような、その名もmaple東行楓。
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たくさんの行楽客でにぎわう東行庵の園内。
この楓の見頃にあたるのは、毎年難しいんです。
他の楓と違い、この木だけ、紅葉時期が微妙にずれる。
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高杉像の横にある「焦心録」の碑。直筆文字が
御影石に彫られています。
そして、陶像と秋の気配が一緒に映りこんでいましたよ。
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  内憂外患吾が州に迫る
  正に是れ邦家存亡の秋(とき)
  将に回天回運の策を立てんとす
  親を捨て子を捨つる
  亦何ぞ悲しまん
この詩は本当に胸をうちますね。
攘夷戦争、蛤御門の戦い、そして幕長戦争。
長州という一藩がこんな戦いを繰り広げて
よく最後までもったものです。
松陰先生の門下生たち、そして国は自分たちで守るという
気概に燃えて武器をもった庶民たち・・・
それらすべてを背負った高杉の悲壮な決意が偲ばれます。
話かわって・・・
12月8日と9日は「2017年晋作伝 キックオフミーティング」が
東行庵で行われます。そんな高杉の回天義挙の舞台裏を知る講演会、
また全国で高杉晋作をいろんなカタチで伝えている皆様の出演による
パネルディスカッションなどsign03
まだご存知でない方は、こちらのサイトからご覧ください。
ツアーもイベントも西鉄旅行からご案内しています。
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下関で夜話会

10/10(水)に下関で昼夜2回の夜話会をさせて頂き、両方で約90名の方のご参加を頂きました。
内容は「高杉晋作と筑前藩士」ということで、九州に落ち延びた高杉晋作が筑前藩士の協力を得て無事に復活し、功山寺決起に向かうまでという内容にしました。福岡にそんな歴史ストーリーがあったとは!と皆様の素直な感想を聞いたり、またもっと福岡の幕末のことも知りたいと言って頂いたり、とても有意義な時間でした。
午前中は亀山八幡宮で、主催は「下関東部の文化財を見直す会」
夜は桜山神社で、主催は「歴史伝承 下関歴史研究所」
ご協力頂いた、亀山八幡宮様、桜山神社阿部宮司様、そして馬関浪士会の皆様、
ご参加くださった一般の方々、本当にありがとうございました
happy01
すごく濃い充実した時間を過ごしたのですが、私自身知らなかったことや心に深く留まるご意見など頂きました。また以前のブログで書いた内容で間違いがありましたので、お詫びと共にブログに訂正を加えて再度アップしています。
懇親会後に、下関のスーパ―ガイド平松さんに、改めて亀山八幡宮周辺の往時の史跡をご案内して頂きました。平松さんの言葉が忘れられません。「明治維新の最大の意義は民族の独立を守ったということです。徳川政権が続いていたら、きっと日本はどこかの植民地になっていたでしょう。」
深く納得sign01 高杉さんが彦島を守ってくれたから、今まで平和な日本が維持されていたと言っても過言ではありません。
夜話会でのお話とは関係ないのですが、かねてより疑問だった「高杉・西郷会談」について、懇親会でもお話が出ました。下関の遊郭「大阪屋」の一室であったというお話ですが・・・

『西郷隆盛詳伝』という史料の抜粋を紹介させて頂きますね。
これは鹿児島の新聞社の記者が書かれた古いものだそうです。
長文ですが、ゆっくり読んで頂くとわかります。非常に面白いです。

『元治元年 十二月 再度の密会
当時、馬関に滞在せし月形潜蔵は小倉に在りける西郷のもとへ我が意を通じ、同志の一人林泰と云ふを使者となし別仕立ての船を仕立て小倉に渡らしめて西郷を迎えしむ。この時長州諸隊の人気非常に荒く薩人にして長州に渡らせんとせば馬関の海峡は三途の川の覚悟にて来るべしなど放言し居りたれば薩藩の兵士らは西郷が馬関の事を危ぶみ「先生にして馬関に渡らるる思し召しなれば我々は何処までもお供をなすべしとて打ち騒ぎしが、隊長黒田吉右衛門、兵士を制し「外ならぬ月形の迎ふることなればさる心配は無用なり、そは我輩に於いて請け合ふべければ鎮まるべし」と諭したるに諸兵も漸く鎮まりける、西郷は吉井幸助、税所長蔵の二人を連れ、林泰と共に船に乗りて馬関に着し、同地の旅店伊勢小(いせこ)に入りたるに月形は早くも此処に居りて西郷らを迎ふ、西郷月形に向ひ「今日は何処にてお集りを催ほさるるにや」と尋ねしに、月形笑みを含み「今日は折角先生のお入り故、これから馬関の女郎買いにご案内申さん」と云ふ、西郷「大方左様の事と存じ若者をも同伴いたしたり」とて打笑ふ、それより月形は西郷の一行を秋月の藩士と偽り稲荷町なる女郎屋大阪屋に案内したるが程なく福岡の志士藤四郎、今中作兵衛、多田荘蔵、中村円太等来会し、五卿方よりは中岡慎太郎、水野渓雲斎の両氏来れり、水野はこの家に来るの途上一枝の寒梅を折り来たりて床に挿みたれば志士が苦節に思ひくらべ時に取りての好品なりと賞美せり、此の席には長州の有志一人も加はらず、高杉等は西郷の一行よりも早く此処に来たり裏座敷に陣取りて酒宴を催し居たり、ややありて月形は西郷を奥の茶室に導き「しばらく此処にお待ち下さるべし」と西郷を残し立ち去りたるが引き違えて一人の武士便所を尋ねる様にて縁側に来たりあたりを忍びて其の室に入りぬ、是れ別人ならず彼の高杉晋作にて両人の間に如何なる談話ありけん知る者絶えて無かりしがその会合は暫時にして西郷再び表座敷に帰り来たるに福岡の志士らは早や酒宴を始め芸者なども来たりて飲めや歌への大騒ぎなり、こは月形の計らひにて彼の茶室の密談を知らざらしめんとの計略なりける、此の時裏座敷の一座も大いに酔ひしと見へ芋掘り武士、長州武士の魂を見よなどと薩州を罵る声声聞こえしが、やがて表座敷の襖を破るるばかりに打ち明け、高杉晋作を始めとして太田市之進 佐世三十郎等長州屈指の壮士十余人大酔の体にて西郷の座敷に踏み込みたり、高杉は西郷の前に進みて声を励まし「貴様が薩州の芋掘武士か」と罵るに西郷平然として「如何にも拙者は芋掘武士でござる」と立腹の様子もなし、高杉なおも口を極めて西郷を罵りしが一座の人々はかねて高杉の酒癖あるを知るものから又例の癖が起こりたりとて種々高杉を宥めんとせしに、高杉いよいよ激しく西郷を罵倒し散々に放言したる末席を蹴立てて立ち去りたり、続いて太田佐世の面々も「こんな所に居るのは汚らわしい」と立ち去りぬ、是れ高杉の狂言にして長州の壮士に己と西郷との関係を知らざらしめん為なりき、酒宴終わり西郷は吉野税所の両士と共に茶室に退きたるに月形早川の両士入り来たり高杉と会合の模様を尋ねしかば、西郷は此の夜の会合にて五卿動座の事も運びし故早々廣島に赴き解兵の事を取計ふべし、と鶏鳴の頃以前の迎え船に乗りて再び小倉に帰れり』

この文章に書いてある通りの船宿「伊勢小」の跡を実際に見て、堂崎渡(どうざきのわたし)という船着き場の図を見たりして、すごくリアルに感じました。
酔った勢いで西郷を罵倒し、それも一人で行ったのではなく壮士十余人という、皆の前で事実を見せる。西郷も心得たものでここは長州に一歩譲るという気持ちで聞き流す。すんなりと薩長同盟ができるわけない、両雄二人の歴史的逢瀬はこのようなカタチであったということがすんなり入ってきました。
「高杉・西郷会談、あったのか、なかったのか」についてですが、結論付けはされていません。
しかし福岡藩士の早川養敬も、自分がセッティングしこのようなやりとりがあったと書いているそうです。同じ内容のものが違う人の手で書かれていること、また場所が具体的に書かれていることなど、かなり興味深い内容ですね。

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