下関

日和山の竹あかり   維新150年記念

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年が変わってしまいましたが、2018年の秋にこのようなイベントがありました。

日和山公園は下関で最初にできた市の公園です。

その公園にふさわしい人物の銅像を作ろうということで選ばれたのが、高杉晋作でした。
最初は銅像でしたが、戦時中に金属供出で姿を消しました。
それで、今は備前焼きの陶器の像となっています。
そして、功山寺決起前に大庭伝七あてに書いた遺書にある、「自分は死んでも、赤間関の鎮守となるつもり」という言葉をイメージしたのでしょうか。
今も、海峡を睨んで立っているその姿は、まさに神々しい立派な姿です。
熊本の竹灯りデザイナーの「ちかけん」さんのプロジェクトです。
日和山公園の晋作像のまわりが竹あかりで輝くのが、今か今かと待ち遠しい時間の流れ・・・

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夜の帳が次第に降りてきます。


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竹に掘られた模様が美しい!



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武田菱の家紋まで作ってくれたなんて、心憎い

フィギュアの晋作くんもさりげなく登場!

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さてこの日は、地元の「日和山愛護会」の皆さんによる、いろんなイベントが行われました。その中で、大変不思議なことが起こったのです。


それは、まさに「高杉晋作と野村望東尼」のお話が終わったあと、筑前琵琶奏者の「大師範 東旭秀先生」の演奏の時に起こりました。


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これは、リハーサル時ですが・・・
「あぁ 野村望東尼 〜姫島より〜」という曲をご奉納することになっていました。
リハはバッチリ!
昨日、一番太い絹糸の弦を張り替えられて臨んだ東先生。
「心を込めて演奏します。高杉さんに聞いてもらえるかな?」と本番前におっしゃっていたのです。
そうしたら、なんとなんと! 最初の小節「ベーン」と弾いた瞬間に、1本の弦がバチッと切れたのです!  「あーーーー!」   私を含め、周りのスタッフがみんなパニックになりました。
でも、さすがの先生、「ちょっとお待ちください」と言って舞台上でささっと弦を張り替えて、もう一度最初から。
そうやって無事、ご奉納をしていただいたのです。
後から聞いたのですが、 先生の長い演奏歴の中で、張り替えたばかりの弦が一発で切れるなんてことはなかったそうです。
下でご覧になっていた人たちも、私たちもみんな思いました。
「高杉さん、来てる! 自分の存在を知らしめたのね〜」


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お天気に恵まれ、ライトアップされた晋作さんと、海峡ゆめタワーと、その間に綺麗な月
こんなに素晴らしい日和山公園は初めてでした。
維新150年の記念の年に、日和山で素敵なイベントに参加させてもらったこと。
ありがたく、忘れられない一日となりました。
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追記:
日和山公園の晋作像の足元には、望東尼ゆかりの「姫島の石」があるのです。
そこには、平尾山荘に匿われた晋作が、望東尼から手縫いの着物をもらった、その時の和歌が書かれた記念碑もあります。
  まごころをつくしの衣は国のため
       たちかえるべき衣手にせよ


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この像の着姿は、まさに町人風に変装した晋作。
望東尼から頂いた着物を着ている、と言われています。
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高杉晋作の灯る夜/下関市日和山公園

 今年は、明治維新150年。

ということで、下関市でそれにふさわしい企画の公募が行われ、幾つかの団体がイベントを開催することになりました。
その一つとして、「日和山愛護会」という方たちが企画した、こんな素敵なイベントが行われました。平成30年10月13日(土)のことでした。
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これは、熊本市在住の竹あかりアーティストの「ちかけん」さんが、日和山の晋作像のまわりを竹灯篭でライトアップするというもの!
ちかけんさんは、日本にとどまらず、今や世界にも飛び出していかれるほどの人気の竹あかり創造デザイナーです。
このイベントで、晋作の講話と筑前琵琶の演奏など、色々な催しが行われました。
私が担当したのは、Part1で「互いに命を救った、高杉晋作と野村望東尼」という講話。
それと、Part2で「日和山公園と高杉晋作像」という講話です。
日和山公園は、下関で初の市の公園として作られました。この場にふさわしい人物の銅像を建てようということになり、選ばれたのが、高杉晋作でした。
それが、昭和11年、晋作70回忌の時のことです。

蛇足ですが、私の母が小学1年生で、近所の子供たちみんなで、日和山公園に運んだという思い出があるそうです。手押し車にその銅像を寝かせて、紅白のロープで子供たちが引っ張って上まであげたという状況。なんとまぁ、驚きです。
しかし、戦中の金属供出の犠牲となり、昭和18年、銅像は姿を消しました。
再建されたのは、13年ぶり、昭和31年のことでした。
そして2代目の現在の像は、金属ではなく備前焼きの陶像となっているのです。

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そして、この長羽織の姿は、江戸時代流行っていた町人のスタイルなんですが・・・
実は、筑前(今の福岡)に亡命した際に、野村望東尼から変装用にと渡された着物だったのです。

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「まごころをつくしの衣は国のため
 たちかえるべき衣手にせよ」
晋作のために、望東尼が夜もすがら縫い上げた、というまごころを尽くした着物だったのです。
そして、その歌の句碑が、この晋作像の足元にあります。

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この句碑がいつ、誰によって設置されたかはわかりません。
そして、望東尼が島流しにあった姫島の石も、一緒に置かれているのです。
日和山公園は、まさに晋作と望東尼二人の物語が残る、知られざる史跡だと言えるでしょう。

さて、その日和山公園に、ちかけんさんたちのキビキビしたセッティング。晋作さんの周囲が見たことない景色に変わっていきます。リハーサルをしている時は、まだこんな感じでした。

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昼間から夜にかけて風も全くない、穏やかな天気でした。
風が少しでもあると、譜面がめくれてしまうという先生の心配をよそに・・・
全然大丈夫。天気もイベントに味方してくれています。
そして
次第に夜の帳が降りてきます。
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実に美しい夕景となりました。
そしてついに点灯式が行われ、今まで見たこともない幻想的な景色にお客様もスタッフもみんな驚きです。

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そして、この幻想的な灯りのステージ上では、大師範・東旭秀先生による筑前琵琶の奉納演奏が始まります。
ところが!   「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」が演奏されたのですが、最初のベン!というバチを鳴らした瞬間に、弦がプツンと切れてしまいました。
 昨夜、一番太い弦に張り替えたばかりだというのに! 先生自身も、私も、みんな衝撃でした。そんなことはあり得ない・・・
しかし、会場の皆さんも感じました。「高杉さんが降りてきた!」
まさに、そういうことなんです。
これは、リハーサルの時の東先生なのです。
「あぁ、野村望東尼 〜姫島より〜」という曲は、毎年、望東尼のご法要の際に、筑前琵琶・旭会の皆様から奉納される曲です。

勤王の志士たちを匿う、平尾山荘の女丈夫・ 野村望東尼。
そこに集う志士たち。しかし、晋作を匿った罪で、彼女は島流しにあってしまう。
遠島になってやく10ヶ月。三反帆の早船一艘、玄海灘の荒波をかき分けて、望東尼救出部隊がやってくる。6人の志士たちによる救出劇。 それは、「長州高杉氏の使いにて」という、感動的な物語が語られます。

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東先生と私の出会いも、数年前の平尾山荘の法要の時からでした。
その先生と初のコラボで、しかも、下関で! 語りと琵琶をご披露したのですが、まさか高杉さんのご降臨をいただけるなんて、感激して涙が出たことはいうまでもありません。 一生忘れられない思い出となりました。

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この日の高杉さんは、お釈迦様のようにも見えました。
そして、銅像と、海峡ゆめタワーと、眼下に広がる海峡の夜景。
それに、三日月と星が上空高くに輝いて、こんな美しい絵巻物を見たことがありません。 それくらいに感動的な夜でした。

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日和山愛護会の皆様の企画、大成功でした。
お客様も500人超えだったようです。
これから先も、この日和山の歴史が語り継がれていくことを、願いたいと思います。
ちかけんさんも、竹灯篭を作ってくれた地元の皆様も、お疲れ様でした。
本当に 素敵な竹あかりでした。
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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2016年の総括その1〜高杉晋作150回忌〜

かなりブログ更新をお休みしておりました。

最近はfacebookの投稿ばかりでしたが、やはり記念として残る
ブログは書いておかないといけませんね。
今年2016年の1月1日に、「高杉晋作没後150年記念」の
HPとFBページを立ち上げたのでした。
ポスターはこんな感じです。
4月14日から17日までの4日間、下関市内で東行忌をはじめと
していろんなイベントを行ったのです。
私、記念事業の総合企画とプロデュースをさせて頂きました。
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4月14日はかねてから計画されていた、高杉晋作墓標記念碑の
除幕式、そして、「墓前で芸妓を集めて三味線をかき鳴らしてほしい」と
いう高杉さんの願いを叶えるべく、京都・嶋原から「葵太夫」をお迎えして、
舞を奉納していただくという二大プログラム! 150年にして、高杉さんの
夢が叶った日となりました。
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葵太夫さん、素晴らしかったです。
奉納されたのは「黒髪」という曲、逢いたいけど逢えない、別れた
人を思うせつない曲。まさに高杉さんへのご奉納にふさわしい。
約7分ちょっと、お墓の周りにはたくさんの人がいましたが、曲の
歌と時折鳴くウグイスの声のみが聞こえる、なんとも不思議な
空間となりました。
踊りを終えた葵さん曰く、「高杉さんのお墓の前でしたが、途中で
お座敷に高杉さんがお酒を飲みながら見ている姿が現れました。」
ですと! 高杉さん、喜んでくれたのですね
いつも通りの読経で始まる東行忌。今年は、高杉家ご一同のご焼
香がありました。こちらも初めてのことで、感激です。
これは庵の中での、オフショットであります。
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そして、みんなで撮ったショットはこちら!
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お天気にも恵まれ、素晴らしい法要となりました。
しかし! 
この朝の感激が醒めやらぬ、同日の21時26分、あの熊本の大地
震が起きたのでした。私は下関にいたのですが、福岡であった西方
沖地震を思い出すような嫌な予感がしました。
そして、1日おいて15日の深夜、マグニチュード7の本震が起きた
のです。その朝は土曜日。
この日は今回のイベントの目玉である「東行先生へのオマージュ」と
いう講演会とトークセッション。そして夜は「晋作ナイト」として、全国
から来てくださるファンとの懇親会の予定でした。
夜中の揺れに飛び起きた私でしたが、不安なまま迎えた、16日の
早朝です。
電話が鳴りました。
トークセッションのゲストである白石正一郎氏の子孫、白石明氏
でした。「地震被害により緊急の仕事に向かわなければならなく
なりました。今日の下関入りはキャンセルさせてください。」
地震は、ゲストのキャンセルだけではなく、当日、九州各地から来ら
れる予定だった晋作ファンたちも足止めという事態を引き起こしま
した。久しぶりの再会を楽しみにしていただけに、とてもショックで
した。
しかし、熊本現地はもっと大変なことに・・・
状況をニュースで見聞きするとその悲惨さに言葉がありません。
なんとか落ち着こうと自分に言い聞かせながら、ドリームシップと
いう現場へ向かいます。まだ何か起きるのではないか・・・
不安を覚えながらも、会場に入ってステージの看板を見たときには、
ちょっと 感無量でした。
リハーサルを終え、いよいよ開場。どれだけの方が来られるか心配
でしたが、なんとなんと、300人満員御礼でした。中には立って見て
おられる方もいたくらいです。
また全国から来てくれたお仲間が、受付までお手伝いしてくれました。
ありがたかった〜!
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吉田みどり保育園の園児たちと先生たちによる、「花の奇兵隊」の
踊りで幕を開けました。
次に、東京から駆けつけてくれた、熱血天使の山崎愛実さん、沖村
彩花さん、菅沼結花さんによる語り芝居のパフォーマンス。
その熱演は、会場の皆さんの感動をよびました。
続いては古川薫先生の記念講演、そして京都嶋原の司太夫の
「花街の四方山話」と題した記念講演。お二人のゲストのお話は
大変素晴らしく、またなんと 司さんの京舞が披露されました。
嶋原太夫のお座敷の舞が下関で見られるなんて、会場のお客
様もみんな大喜びです
「京の四季」という曲で、桂小五郎を匿った幾松が、新撰組の近藤勇
の前で踊ったというエピソードもある曲です。
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そのあとは、東行庵の庵主さま、そして歴史研究家の竹本知行
先生をお迎えして、下関総合図書館長の安冨静夫先生のコーディ
ネートでトークセッションが行われました。
ここに、白石さんが入られる予定だったんですけどね
さて、ドリームシップでのトークイベントが終わったあとは、シーモール
パレスに場所を移して、「晋作ナイト」のスタートです。山口県酒造
組合18社から、自慢のお酒を取り寄せて、晋作さんと一緒にみんなで
楽しもうという趣向です。
まずは、150回忌によせて、演武の奉納です。


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北は北関東から、南は鹿児島まで。
下関には何度も来てくれている、素敵な仲間たち!
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ナイトの中では、プロミュージシャンのJoker高広さんや
内田祥文さんの奉納ライブなどもあり、とても賑やかで
楽しい雰囲気のなか、無事終了しました。


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参加者の皆さんに差し上げたオリジナルの記念品。
長崎の波佐見焼でオーダーしたものです。
山口県のお酒もこれで楽しんでもらいました。

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翌日の17日は、西鉄旅行ツアーで、市内のゆかりの地を訪問。
何度行っても、みんなと一緒の史跡めぐりは毎回違う感動。
ご案内は、スーパーガイド平松資朗さんです。


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そして、このイベントの様子は、山口新聞で紹介されました。
「晋作の思い」だけど、みんなの思いで出来た、150回忌の
記念行事でした。
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その後半年遅れで、やっと記念誌も出来上がりました。
これは、地元の企業さま、そして全国のファンの皆さまからの
お志で出来た賜物です。
本当に、本当にありがとうございました。

未曾有の大地震もあり、波乱の150回忌となりましたが、
「晋作の夢 仲間たちの夢、 今を生きる私たちの夢」
まさに、バトンが受け継がれて、次の世代へとつながる
記念事業となったのではと思います。
関わってくださったすべての皆さまに感謝です。
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最後に・・・
記念誌は寄付をくださった方にお送りしたのですが、
下関市内の図書館、山口市図書館、萩市図書館などでも
閲覧できます。


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野村望東尼 150回忌に向けて

 高杉さんの150回忌の記念事業が、4月14〜17日までの4日間、 下関で 行われました。これについては、また落ち着いて書こうと思います。

そして、同じ慶応3年11月6日に亡くなったのが、望東尼さまでした。
今年の平尾山荘での法要では、高杉さんに着物を渡す、例のシーンを
デザインしたレリーフが完成して、その除幕式があるそうです。
高杉さんが平尾山荘に潜伏したのはわずか10日間。
しかし、この出会いが二人の運命を大きく変えました。そんな二人の
感動の物語を、「語り芝居」という形で演じることになりました。
女優の岩城朋子さんは、七色の声をもつということで、多くの物語を
一人で演じわけます。今回の脚本も岩城さん自身によるものです。
物語は功山寺決起からスタートします。高杉さんの人生のハイライ ト
シーンが多くの人との絡みの中で進行します。
ぜひ、ご覧ください。
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 初演は、なんと下関の亀山八幡宮で8月9日(火)18時からと
なっております。
主催は「海峡の裏町文化塾」  お食事付きで、参加費は5000円です。
塾長の大越清美さんまで、お問い合わせはお願いします。
090−3170−9119

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150回目の東行忌 / 平成28年4月14日(木)

  今年の4月14日は、高杉さんの第150回忌法要となります。今年の法要はスペシャルなことがたくさんあります。遺書に書かれた願いを150年目に叶えてあげたいという思いからです。元治元年12月の功山寺決起直前、高杉晋作は友人の大庭伝七にあてての遺書です。長文の手紙ですが、さんざんお世話になった大庭へのお礼も込めて、万感の思いでしたためています。


その後、長々とご無沙汰致しまして、恐縮しております。私も、
いまだ、自らの死に場所を得ることができず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知のとおり、両殿様(藩主父子)の御身に迫っている危難を思いますと、このような状況を招いた我々臣下一同、死をもってしても、余りある状況でございます。

先日、長府に出張した折に、一言も御相談申上げなかったことにつきましては、心に深く思うことがあったからなのです。ですから、何卒、悪くお思いになりませんよう、お頼み申し上げます。私も毛利家恩古の家臣ですから、今日に至って、士民(武士と民衆)を同一視するような気持ちは、これっぽっちもございません。このことは、兼ねてからご存知のことと思います。
讒言(ざんげん)により、長府公(長府藩主・毛利元周)も、私たちのことを、色々と悪く思し召されていることが、残念でなりません。さりながら、人生の事は棺(ひつぎ)のふたを覆った時に、はじめて定まるものだと申します。ですから今の段階で、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公(毛利元就)の血を引く正統な府公でございますから、たとえ、私を追討せよと仰せられたとしても、露ほどもお恨み申し上げたりはいたしません。とは言え、できることなら、私の思いを、私が生きているうちに、府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから、おいおい嘆願書を差し出すつもりでいます。
野々村君たちのことも、悪く仰せになりませんよう、お願い申上げます。私たちが長府城下を離れておりましたのは、長府公のことを深く思ってのことです。それなのに、この思いとは裏腹に、讒言を受けるにことにつきましては、甚だ遺憾に思っております。死んだ後でなくては、到底明白にはなるまいと、覚悟を決めた今の心境を、是非ともご推察頂きたく願い申し上げます。
私がもしも馬関で死んだなら、招魂場へお祭り頂けますよう、お願い申上げます。
私だって個人的な情愛を持たぬ人間ではございませんが、国家の大難が胸中を火のように焦がしているために、ついつい小事を忘れていたものとご推察頂けますようお願い申上げます。筑前以来お世話になり、また馬関へ帰って後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら、一言も申し上げず馬関を出ることは、無情のようではございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。
ご家族も、道理を知らぬ者と、私のことを悪くおっしゃっることと思いますが、私に代わってご弁解頂けますようお願い申上げます。また、筑前で、野々村から5両を拝借しておりますが、まだ返却できないでおりますので、その件につきましてもよろしくお伝え下さい。なお、御珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は、陣中の楽しみとすべく、勝手に持ち去りましたので、そのようにご承知頂けますようお願い申上げます。
前文でも申し上げましたように、赤間関の鬼となり、討ち死に致しますので、
別書の通り、墓碑を建てて頂けますよう、ご面倒ではございますが、お願い申上げます。井上小輔、三好大夫へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にも御無沙汰しておりますが、よろしくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死んでも、恐れながら天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。入江角次郎も御地へいらっしゃるとこのとですので、このことをお伝え頂けますようお願い申上げます。
私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らして、お祭り下さい。また、別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。



故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之助也

毛利家恩古臣高杉某嫡子也
月 日

売国囚君無不至 捨生取義是斯辰

天祥高節成功略 欲学二人作一人
国を売り君を囚(とら)え至らざるなし
生を捨て義を取るはこれこの辰(あした)
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作(な)らんと欲す
国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。
命を捨てて義をつくすのはまさにこのときである。
文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した明の謀臣)の策略と、
2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。

申し上げたことはございませんが、私は、あなたが誠の心をお持ちの方だと知っております。だからこそ、このようなことを申し上げるのです。御他言は無用に願います。もし、あなたが幽囚の身になるようなことがあれば、入江角次郎に、このことを伝えて下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。 伝七様 梅之助
墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件につきましても、お願い申上げます。また(□□不明)の内は、この書状を他人へ見せた場合、もはや、あなたのことを知己と思うことはできません。以上は、筑前で酔いつぶれ、ふと思い起こして認めたものです。 

大庭伝七様へ 谷梅之助

 

この遺書の赤字で記したところが、150年を迎えて実現します。

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詳細は東行庵のHPでご覧ください。

当日、その墓誌碑の除幕式、そして京都島原の葵太夫さんの

墓前での舞の奉納があります。

150年の今年、ぜひ多くのお参りをいただきたいなと

思います。

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高杉晋作没後150年記念事業の事始め

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久しぶりにブログをスタートします。
今年は、高杉さんの150回忌ということで、昨年から有志の人たちと
下関で実行委員会を立ち上げました。
そして、今こんなプロジェクトで東行忌と、記念事業を行おうとしています。
詳細はこちらでご覧ください。
この晋作さんのイラストは、講談社コミックの『百花春風抄』の作者・朔田
浩美先生の書き下ろしを頂きました。目力のあるかっこいい晋作さん。
そのパワーでいろんな奇跡を起こしています。
原画はこれ
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着流しに扇を持つ晋作さんは、かっこいいだけでなく、ちょっと切ない
エピソードがあったのではと思うのです。
それは葉室麟さんの小説 『春風伝』に描かれていました。
幕府との戦いの時、軍艦に乗り込む海軍総督・高杉晋作はこの出で
立ちでした。
「え!? その格好でですか?」と驚く周りの隊士たちに、「なーに、幕府の
ような鼠族を退治するのにはこれ1本(扇)で大丈夫。」と言った高杉さん。
しかし、その時には彼の身体は随分蝕まれていて、甲冑などをつけるには
耐えられないほどだったというのです。
真偽のほどはわかりませんが、起き上がるのも一苦労だった病状からいけば
十分考えられることですね。
その肩に藩の運命を一身に背負って強大な幕府軍と戦った、長州の英雄。
150回忌には、彼のやり残したこと、夢見たことを、みんなで語りたいと
思います。そして、次の世代につなげるために、多くの人に知ってもらいたい。
東行忌まであと一ヶ月。
全国の高杉ファンの皆さま、下関でお会いしましょう。
4月14日の東行忌はもちろん、15、16、17日と3日間、市をあげての事業で
全国の皆さまのご来関をお待ちしています。
それから、イベントはすべて有志の皆さまのお志でやり遂げたいと頑張って
います。
寄付も募っていまして、全国の方からお申し出もいただいています。
寄付いただいた方のお名前は、事業終了後に作成する「150年記念誌」に
掲載させて頂きます。
詳しくはこちらから。 http://tougyou.com/pickup/kyousan
どうぞよろしくお願いいたします。

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今年の東行忌ツアー、募集します!ぜひご参加くださいね。

久しぶりにブログを書きます。長い間お休みして申し訳ありません。
でも、今度の4月の東行忌ツアーの下見など結構忙しく
晋作さんと関わっておりました。
「2017年晋作伝」というプロジェクトの中で、土日にかかるのが
今回最後ではないでしょうか。それで、泊まりがけのツアーを催行
することになりました。
維新胎動の地・萩
維新策源の地・山口
維新回天の地・下関
という感じで、まさに長州のトライアングルをなしているのですが、
今回は②と③をまわります。ぜひお見逃しなく!でございます。
小高い山の上から見渡した、策源の地・山口市です。
山あいには萩往還という道があります。
萩から政事堂のあるこの山口には、晋作始め桂小五郎や久坂玄瑞など
長州オールスターズが萩往還を通っています。
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そして、下見で行きましたが、毛利敬親公お気に入りだったと
いう外郎屋さんがあります。ツアーでは寄れないので、ここで
特別公開。 当時の絵もあわせて御紹介します。
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まさにこの建物が残っています。
ガイドさん曰く、「晋作も買いにきたでしょう
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さて、山口には幕末以外にもたくさんの史跡が残っています。
昔は大内氏の都で、あのフランシスコ・ザビエルも訪れたほどです。
大内義隆の菩提寺・龍福禅寺があります。
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大好きだった家臣・陶賢晴に滅ぼされてしまうんですよね。
勘合貿易などで強大な権力と栄華を極めた大内氏でしたが、
諸行無常であります。
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ツアーは幕末関係だけで盛りだくさんのため、大内氏関係は
瑠璃光寺くらいしか予定できません。
なので、ここでちょっと御紹介させて頂きました。
詳しい内容は、下記の西鉄旅行のお申し込みサイトで
ご覧ください。たくさんの皆様にお会い出来るのを
楽しみにしています。
ぜひぜひ、ご参加お待ちしてま〜す

東行忌・西鉄旅行

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中山忠光卿を祀る中山神社

皆様あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

私は実家が下関ですので、今年は地元の氏神様と幕末志士
ゆかりの神社に初詣に行きました。
その中で、今回初めて宝物殿にも入ってみた中山神社を
御紹介してみます。
下関市の綾羅木(あやらぎ)という町にあります。
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中山忠光卿は孝明天皇の皇后にあたる中山慶子(よしこ)様の弟君で、
明治天皇の叔父さまにあたるわけです。
皆様ご存知の通り,
過激な公卿として急進的な尊王攘夷を唱え、ついには官位まで辞して
天誅組を結成しました。
しかし文久3年の8月18日の政変で七卿も落ちる、忠光卿の天誅組も
名分を失い、朝敵の汚名を受けることとなります。
その後長州に落ち延び、山陰を転々とされますが、ついに元治元年
11月8日の夜、田耕村で俗の凶手にかかり、19歳と6ヶ月という
短い生涯を終えられました。
当時からこの村では、箝口令がひかれ、忠光卿の暗殺に関しては
今もほとんど語られず・・・
陸路なのか海路なのか、忠光卿の遺骸は、この神社近くの庄屋さんの
お家にしばし安置されそれからここに葬られたという、なんとも寂しい
お最期です。
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宝物殿がありまして、なんと、タダです
でもちゃんとお賽銭はいれましたよ。
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私の目を釘付けにしたものがありました!
蛤御門で長州軍が使用した長櫃ですって!
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長州藩士たちが、武器等をいれた長櫃なのでしょうか。
まわりがところどころ剥げているものの、とても立派な
造りの、堂々としたものでした。
これだけでもかなりの重量があります。
これを京都まで戦争に持っていったのかと思うと、
なんともいえない感慨があります。
下の写真は正殿ですが、ここに中山忠光朝臣命
左殿は明治天皇
右殿は天照皇大神
とお祀りされている由緒正しい神社なのです。
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また余談ですが、中国清朝最後の皇帝の弟君・溥傑様の
愛新覚羅家をお祀りした社殿もあります。
日本からお嫁に行かれた浩様が有名ですよね。
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こういう内容です。
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今年は、文久3年から数えて150年目の年にあたります。
下関では攘夷戦争がおこり、高杉晋作が白石正一郎さんと
出会い、奇兵隊創設を果たした・・・
ブログでもそんなことにまつわる情報を追っていきたいと
思っています。
今年もご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします

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2012年は晋作伝プロジェクトの元年でした

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朝から雪が降りしきりうっすら積もったのは、ちょうど
クリスマスイブの12月24日でした。
功山寺の雪景色! 
元治元年、高杉晋作のもとに集まった隊士たちがつけたと
いわれている梁の刀傷です。
白い息を吐き、寒さと興奮に震えながら、刀を振り下ろし
自身を奮い立たせていたのではないでしょうか。
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功山寺に今年は何度訪れたことでしょう。
春の東行忌から始まり、今年は「2017年晋作伝・
功山寺決起記念 キックオフミーティング」を開催したのが
12月の8日でした。
全国から晋作ファンも駆けつけてくださり、シンポジウムや
パネルディスカッションなどで晋作さんへの熱い思いを語り
あいました。
今年はfacebookでの情報発信が多くなりました。
facebookされていない方も、イベントの様子など、ぜひ
こちらのページでぜひご覧ください。
  高杉晋作ファンサイト
http://www.facebook.com/takasugifan
来年は、「攘夷戦争150年」そして「奇兵隊創設150年」という
大きな節目の年です。
『高杉晋作と仲間たち』というテーマで、引き続きプロジェクトを
続行していく予定です。
今年一年もご愛読頂きまして、本当にありがとうございました。
今年度の投稿はこれが最後です。
また来年も楽しいツアーや、長州あちこちでおこるイベントなどの
情報もお知らせしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいね。
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2017年晋作伝プロジェクト

1年前からfacebookを始めまして、そこで高杉晋作ファンサイト というページを作り、ブログや日々のいろんなことを綴っております。

ご存知の通り、2017年は高杉晋作の没後150年になります。
3年前このブログをスタートする時に、悲願がありました。
ドラマ化実現や、県全体で高杉晋作を盛り上げて行くなど
そんな夢をカタチにしていこうと・・・
いよいよ『2017年晋作伝 キックオフミーティング』が
今週の土曜日に行われることになりました。
facebookのお友達も、北関東から南は鹿児島という
全国から参加してくださることになりました。
本当にうれしい限りです
12/8(土)は、東行庵で15時〜18時まで。
基調講演やパネルディスカッションなど。
そして、春帆楼に場所を移して、懇親会です。
サプライズの催しもたくさん用意しつつ、皆様を
お迎えする準備を楽しくやっています。
9日(日)は、午前に功山寺決起記念祭にみんなで参加して
その後桜山神社や、厳島神社など主な晋作史跡を巡る予定です。
まだ参加は受付ていますから、この土日下関に来れそうな方は
ぜひ西鉄旅行までお申し込みください。
詳細、お申し込みはコチラです
桜山神社にある一刀彫の高杉晋作像。
こちらも秘蔵の像なんですが、今回特別に見せて
頂けるかも! すごい迫力なんですよ。
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晋作さんの回天義挙の像のもと、全国のファンの皆様との
楽しい交流を心待ちにしています。
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