福岡

野村望東尼150回忌 〜2017年晋作伝プロジェクト・筑前ツアー

2016年11月6日は、望東尼様の150回忌でした。

150回忌を記念して、全国から寄せられた寄付をもとに、
素敵なレリーフが完成。除幕式と法要に参加するツアーを
催行しました。

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平尾望東会の会長、そして、作家の谷川佳枝子先生、元福岡
市長の吉田さんによる除幕式です。


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なんと、高杉と望東尼の別れのシーンで、手縫いの着物に
添えらえた和歌が刻まれたレリーフでした。


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この碑に文章を書かれた谷川先生の言葉が印象的でした。
「これからこの平尾山荘は、望東尼ファンだけでなく、全国から
晋作ファンも来てくれる史跡になりました。」
本当にその通りだと思います。


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ツアー参加者みんなで記念撮影。
この碑の裏には、募金をした人の名前が刻まれていますが、
何人もの仲間が、「自分の名前が刻まれている」のにも感激!

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さて、法要は午前で終わりましたので、中洲に移動して
「大阪屋」さんでランチ。
そこでは、博多券番さんのお座敷遊び付きです。
晋作さんが筑前から馬関に帰る前に、やはり博多の
柳町遊郭で遊んで帰ったということで・・・
皆さんと、博多の「粋」を楽しみました。
桜子さんheart04

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お座敷遊びは、「こんぴらふねふね」をリクエスト。
晋作さんが大好きだった歌です。
歌に合わせての勝負!
負けたら、お酒を飲むか、脱ぐ!
ツアー仲間はほとんど負けました。
でも、お一人券番に勝った人もいましたlovely


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地方の司さんと、はと奴さん。
はと奴さんのお声がとてもよかったです。

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そして、記念撮影。
この晋作伝ツアーは、芸妓さんがお約束、のようにも
なりました。2013年には、長崎検番さんat花月。
そして今年の春は嶋原太夫でしたしねwink

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楽しい時間を終えて、その後は博多の町歩き。
高杉晋作一行が上陸した須崎町の「石蔵卯平宅跡」
それから、博多の豪商・神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九の
屋敷跡などを通って、関所跡、柳町遊郭跡、そして高杉晋作
ジョギングロード(その通りを走って逃げたと言われる・・・)などを
みんなで歩きました。

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博多のあちこちにこのような電信柱の史跡ガイドがあるのです。
高杉さん関連は平尾山荘と、この博多区の呉服町界隈にheart01
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このあと、日本最古の禅寺・ 聖福寺、加藤司書墓所がある
節信院などをお参りして、櫛田神社で解散となりました。
駅前の「道路陥没事故」が起きたのはその2日後でした。
あの近くまで歩いたので、すごくびっくりしましたね。
本当に、ツアーでは事故もなく、無事終わって何よりでした。
前日の夜は、岩城朋子さんの語り芝居 「面白きこともなき世を
面白く  望東尼・想」、そして、東えみ先生の筑前琵琶の演奏を
楽しんでいただきました。
望東尼様の150回忌、こうしてみんなでお参りできて、とても
有意義な二日間でした。
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2013年の総括!

「2017年晋作伝プロジェクト」をスタートして2年目。
今年は本当に色々なことがありました。
まず、4月の東行忌。全国の晋作ファン30名近くがご参加で、山口と
下関のツアーを敢行。
東行庵でのトピックスは、高杉家の現在のご当主・高杉力(つとむ)
さんとお母様にお会いすることができました。今までクローズして
いた東行記念館が久しぶりに再開ということで、テープカットが行
われ、そのために来関されていたのです。一緒に記念写真にも納まって
頂きました。
11月6日は、野村望東尼様の祥月命日で、福岡の平尾山荘で「望東祭」
が行われます。午前にこちらのお参りをした後、下関へ。
この日、桜山神社で「奇兵隊供養祭」が行われ、ここで記念講演を
させて頂いたのですよ。テーマは、『高杉晋作と筑前藩士』sign01
奇兵隊とは関係ないのですが、主催者の下関青年神職会様から、
「筑前の人たちのお話をしてください」と大変嬉しく、光栄な
ご依頼でした。望東祭と奇兵隊供養祭、このふたつが同日に
行われるご縁の不思議さを感じました。
夕方に桜山神社の本殿の中で神事が執り行われたのですが・・・
突然、玉串奉奠のご指名を受けまして、慌てたことcoldsweats02
終わりの二礼二拍手一礼を忘れる!などの恥ずかしい失敗は
ありましたが、夢のような時間でした。松陰先生、高杉東行さん、
そして奇兵隊士たちのご英霊が眠る聖地での150年を記念した
神事に参加させて頂いたことは一生の思い出となりました。
その後神社会館で行われた講演会には、満席になるほどの
たくさんの方にお越し頂きました。その後、直会があり、
そして馬関浪士会の方たちとまた打ち上げ。
来年の春のツア−のお話もでき、本当に有意義な一日でした。
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 作法の失敗に視線をバシバシ感じながら・・・
さて、11月は今年のプロジェクトの締めくくりでもある
「晋作と龍馬が愛した長崎」ツアーを行いました。11月23・
24日の2日間、またまた全国の皆様40名くらい集まって頂き、
楽しんだわけであります。
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これは、史跡料亭「花月」のお玄関で、高杉、坂本、岩﨑の
上得意様3名の写真に皆さん、食い入るの図!
花月さんは、文句無しに素晴らしかったです。
検番さんたちとお座敷遊びもしたんですよheart04
事前にリクエストしていたのですが、「三千世界の烏を殺し」
るり羽姐さんが歌ってくださった時は鳥肌たちました。
あと、「こんぴらふねふね」とか・・・
本当に晋作さんが降りてきて一緒に楽しんでいるような
夢のような時間でしたlovely いや、きっと来てたな・・・
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お料理もさすがでしたね〜。卓袱料理、初めて頂きました。
今回の長崎ツアーでは、長崎龍馬会の皆様とも交流ができ
たのです。来年の下関ツア−にもご参加くださるという
嬉しいお話も頂いています。
さて全部は書ききれませんので、上記に紹介した「高杉晋作
ファンサイト」で長崎ツアーの様子などご覧ください。
西鉄旅行のb-sideというブログの中でも読めます。
さて、来年の予定ですが、3月29・30日には萩と下関の
ツアーを予定しています。
東行庵に新しい高杉晋作像が完成するんですよ。その銅像の
除幕式に合わせたツアーを企画しました。ぜひ一緒に見に
行きませんか?! また詳細ができましたら、このブログ
でも御紹介しますね。
高杉像の製作過程の紹介、そして銅像の寄付金についての
ご案内など、コチラのサイトでご覧ください。downwardleft
   http://www.tougyouan.jp  (東行庵のHPです)
それでは皆様、今年度最後のブログになりました。coldsweats01
(ほとんど書かずにおりましたが)
来年は、このようなことがないよう、精進して参りますので、
ぜひとも続けてご愛顧のほどお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいね!

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高杉晋作を歩く〜博多編その2〜

7月に入り、博多の町は山笠一色になってきました。
福岡の中でも山笠のメインステージである博多地区は商人の町。
ここにも、高杉晋作を匿ってくれたり、援助してくれた
志のある人たちがいました。

高杉晋作が筑前藩の脱藩藩士・中村円太と共に筑前入りしたのは
元治元年の11月4日。
この時、上鰯町(かみいわしまち:旧町名)の対州問屋の
石蔵卯平が迎えたそうです。

今でも石蔵商店として、博多川沿いにお店があるんですよ。

ここに、月形洗蔵が会いに来ます。
そして、肥前田代の平田大江に面会し、九州統合の説得をしに
行こうという話になります。

そして、11月6日、田代に行くのですが失敗。
石蔵屋にもどりますが、ここで謎が・・・

月形、鷹取養巴、平野国臣、早川養敬、そして西郷隆盛に
会ったと記録に残っているそうです。
その前に平尾山荘でも西郷‐高杉会見があったと
記録に残っています。
そしてその後、下関に戻ってからも、稲荷町の大坂屋で
西郷-高杉会談があったと。。。

しかし、『防長回天史』には西郷-高杉は終生面識なし、と
言い切っています。

ここのところはどうなんでしょうねcoldsweats01


話を元にもどして

高杉晋作が元治元年、平尾山荘を抜け出て、この博多の町に潜伏したのが
約4日間。 その間の足取りが最近やっとわかってきました。


平尾山荘から少し急ぎ足で歩くと、最初に潜伏した石堂橋あたりの
水茶屋「若松屋」後に「常磐居」まで約2時間の道のり。

全く違うと思うけど、そのあたりに「水茶屋」という
古めかしい喫茶店発見!

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それから、その目の前にあるのが関所跡です。
今の石堂大橋あたり。

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若松屋で月形洗蔵を待っていた高杉でしたが、待てど暮らせど
現れないのでついに関所破りを決行sign01
変装の名人だった(?)高杉さんは、若松屋の使用人が着る
半纏を着て、5〜6歳の女の子をおぶって、遊郭に用事がある
ふりをして関所を突破したようです。

現在の「大浜公民館」
このあたりが、旧柳町遊郭街(その後移転して新柳町ができた)です。

柳町の「梅が枝屋」というところを根城にしていたようですね。


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このあたりの地図はこちらの博多古地図でご覧ください。


結局11月25日に、下関に戻ったと言われています。


この間、筑前藩士たちの動きは目覚ましく、月形、中村、早川などは
功山寺に行き、五卿の九州移転を説得。
諸隊にも説得しますが、彼らはあくまで反対。
「西郷、来るなら来るべし。馬関の海峡は彼が三途の川になるべし」と
いきまいてますから、それはそれは大変な苦労をしていた。
筑前藩士たちのねばりもすごいものです。


高杉晋作といえば・・・
稲荷町に潜伏していました。
そして功山寺決起までのカウントダウンが始まります。


この写真は、下関の稲荷町遊郭跡あたりのサインです。

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高杉晋作が逃亡した足跡を辿るのも、またとても興味深い体験でした。


このあたり、もう少し詳しく調べてみたいと思っていますshoe

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高杉晋作を歩く、博多編

今日は、facebookのお友達サワコさんの御紹介により
「はかた博物館」電柱歴史案内2000年本プロジェクトの
イベントに参加してきました。

博多区の御笠川と那珂川に囲まれた、博多の玄関口ともいえる
呉服町周辺を中心として、中世の商都であった博多、
幕末、多くの志士達が交流した博多のエピソードを
電柱にサインとして貼付けていく活動などをされています。

元治元年(1864)11月に平尾山荘を辞して、下関に帰るまでの
高杉の足跡を巡るルート。大変興味深いものでした。
同時に博多の昔の街並や歴史を感じることもできました。


古地図を見ながら、大博(たいはく)通りからスタートです。

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山荘を出たあと、高杉晋作は御笠川沿いにある「水茶屋」に
潜伏したといわれています。


まさにその地にある、水茶屋という喫茶店を発見happy01


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それから、水茶屋の店の半纏を着て女の子を背負って町人スタイルで
関所破り、そして当時の遊郭街「柳町」に潜伏。
ここで月形洗蔵を待ったと伝えられています。


柳町遊郭のあったあたりは、今マンションが建ったり、
この大浜公民館などがあります。


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電柱に色々と町のストーリーが書いていますが、
ぜひこちらからご覧ください。


アルバム(facebookより)


功山寺決起につながる、筑前からの脱出。
どんな径路だったのか、という以前からの疑問が解けて
最高にうれしかったです。
立石さん、サワコさん、ありがとうございました。


さて、今日学んだコースは、7/7(土)に私がご案内します。
原三信病院前を朝9時にスタート。
ぐるっとまわって、天神まで行きます。
詳細はまたお知らせしますね。

参加希望の方はぜひお知らせください。
loveletter baisho62@gmail.com まで

また電柱は現在59本。様々な歴史を語っていますので、
ご興味のある方はこちらにお問い合わせください。


pencil このはかた博物館の詳細についてのお問い合わせ先
  ハカタ・リバイバル・プラン
  福岡市博多区大博町4-32 立石さん 092-281-4008

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ブログのオフ会でした

12月に入りましたね。
最初の土曜日の今日、私のブログにコメントを寄せてくださり、
先日は平尾山荘の町あるきに参加してくださった方達と
天神で集まりましたhappy01
全員が近くに在住だったというのもオドロキです。


るっこらさん、亜美さん、梅子さんshine *年齢順smile


いずれも個性豊かな「なでしこ」たちで、私たちは「高杉晋作を
熱く語る」女子会を行ったのでした。
そして、ひとつの固い誓いを行いました。
まるで、松陰先生の改葬を行った際の高杉の決意表明のような!
「先生の亡骸を前に改めて誓う!僕たちが幕府を倒す!」という
あの物語のシーンです。
(クーデターをおこすわけではありませんsweat01
ご安心ください)


その内容に関しては、来たる12月15日に正式にお知らせしようと
思っています。ぜひまたこのブログにいらしてくださいねsign01


写真は、3日前に通りかかった平尾山荘の紅葉です。
今年はきれいなところが撮れました。
燃えて燃えて、自身を真っ赤に染めて散っていく紅葉のような
生き方をした、と童門冬二さんが高杉を表現していました。
その通りだと思います。
この山荘に住んで、高杉晋作に出会ったばかりに壮絶な晩年を
おくった野村望東尼さんもそんな生き方でした。


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天拝山の頂上、高杉晋作の歌碑!

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これはあまりに有名な、菅原道真公の歌ですよね。

 春風が吹いたならば、風に託して筑紫にいる私に匂いを届けておくれ
 梅の花よ。たとえ家の主人がいなくなったとしても、花の咲く春を 
 忘れるなよ。


今日は、筑紫野市観光協会長 久芳康紀さんにご案内頂き
天拝山とそのふもとの寺社を訪ねる半日の山登りに参加しました。


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紫藤(しとう)の滝

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太宰府に流された道真公は、この天拝山のふもとの滝でみそぎをされて
それから山に登られたそうです。
昔は「天判山(てんぱんざん)」という名前だったそうですが、
道真公が都のほうを向いて拝まれたので「天拝山(てんぱいざん)」に
なりました。

と説明をされる久芳会長さん。御年83歳sign01

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行きは「開運の道」、帰りは「天神様の径(みち)」
どちらにも1合目から2合目、3合目・・・と歌碑があります。

普通にハイキングロードとしても、区切りがあるので
わかりやすくていいですねgood

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そして、私が楽しみ〜heart02にしてたのがこれです!

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イメージと全く違っていましたが、shine高杉晋作歌碑shineであります!


久芳会長さんから頂いた資料の中から、そのまま紹介します。

道真公が天拝山頂上の「お爪立(おつまたち)の岩」に上がって、
都の方を向かって祈祷されました。無実の罪が晴れて、都に戻る日が
くること。また国家安泰を願って。
その「お爪立の岩」を石柵で囲った傍らに、昭和5年当時、武蔵温泉
「大丸」の山田大助社長により立てられた小型の碑で「霊魂在天拝之峰」

幕末長州の勤王志士、高杉晋作は野山獄の囚中にあって次のように詠じた。

  君見ずや 死して忠鬼となる 管相公
  霊魂なほ 天拝の峰に在り
  又見ずや 石を抱きて流れに投ず 楚の屈平 
  今に至りて人は悲しむ 泪羅(べきら)の江(うみ)
  古より讒間(ざんかん) 忠節を害す
  忠臣は君を思ひて 身を懐はず(おもはず)
  我もまた 貶謫幽囚(へんたくゆうしゅう)の士
  二公を思ひおこして 涙胸をうるおす
  悼むを休めよ、むなしく讒間の為に死するを
  自ら後世 議論の公なるあり


この長い漢詩の二行目の一文が刻まれているのです。
ちなみに高杉晋作が天拝山に登ったという史実はありません。

  

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天拝山の眺望です!


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太宰府の街並、また水城の堤防が横一文字の緑で見えます。


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山を下っていくと、武蔵寺(ぶぞうじ)という九州最古のお寺の側に
「御自作(ごじさく)天満宮」があります。


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道真公が自らの姿を手彫りしたという、等身大のお像が安置されて
いるお寺です。
小さいですが、瀟酒ですごくいい雰囲気の天満宮でした。
余談ですが、天満宮は日本全国で12620社あるそうです。
八幡宮の8500ちょっとをダントツ抜いて、いかに天神信仰が
日本中で多いかを表しています。


久芳会長さん!ありがとうございましたhappy01
天神崇拝をしていた高杉晋作がここでも!
教えて頂かなければ、誰もしらないままになってますね。

久坂玄瑞の歌を教えてくださったり、まさに生き字引な方です。

cuteお問い合わせ
 筑紫野市商工観光課
   福岡県筑紫野市二日市西1-1-1
   092-923-1111

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博多祇園山笠が始まりました

七夕も過ぎたというのに、ここのところ忙しくて
ブログも全く更新していませんでした。
ちょっと取材に行く時間もとれないのですが、
アクセスしてくださる皆様に、暑中お見舞い申し上げますshine
なぜか九州を通り越して、中国・近畿・四国などは梅雨明けしたんですね。

この時期の博多の町は、まさに「山笠」一色です。
梅雨時期でもあり、ムシッとした空気に包まれて
7月1日から市内のあちこちに飾り山が。
法被姿のお兄さんたち、祭りに参加する人たちはこの期間、
改まった場所に行くにも長法被(ながはっぴ)姿は正装です。
特に今年は節電だから、涼しくていいかもgood


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この山は、市内を実際に走る「かき山」です。
一番流れの西流れ。人形のテーマは「長政博多入り」
豊臣秀吉の軍師であった黒田官兵衛(如水)の長男の長政は
関ヶ原の戦いで一番の功績をあげ、徳川家康から
黒田52万石を与えられます。
その長政公の堂々とした姿を表現しています。


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博多総鎮守「櫛田神社」の大祭である博多祇園山笠。
ここが櫛田神社の表で、今は本番に向けて社内の準備が進んでます。
清道(せいどう)・・・7つの山が順番にスタートするところです。


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明治通りから入って、櫛田神社までの土居通り。
提灯がずらっと下がって、華やかな祭り気分を盛り上げてます。
きらめく夏の博多を感じるこの界隈。いいですよ〜
今年は博多山笠誕生770年sign01という節目の年だとか。
鎌倉時代に、疫病除去の祇園信仰から始まった祭りですが、
今年は「復興の祈り」を込めてさらに勇壮な姿を見せてくれそうです。

 お祭りの情報はこちらからpencil


高杉晋作と全然関係なかったけど、最後まで読んでくださって感謝happy01

かなよも見てください。

  note高杉晋作〜かなよ〜

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天神様に自身を重ねた高杉晋作

高杉晋作が天神様信仰が篤かったというのは有名な話ですね。


藤原時平による讒言により、都から遠く九州の太宰府に流された
菅原道真公。その亡骸の上に現在の太宰府天満宮の本殿がある
そうです。
道真公が亡くなられた日には、山口県防府市の酒垂山に瑞雲がたなびき、
勝間の浦には神光が降りたため、公の御霊がこの地にとどまりたいと
思われているとして、延喜4年(904)に防府天満宮が創建されました。
そして京都でも長雨などの災害、疫病などもはやり時平やその周辺の
人たちが早逝するなど不幸が続いたので、北野天満宮が創建されました。

そして、福岡市内にもいくつか天満宮があるのですが・・・

その代表がここ水鏡天満宮です。
福岡市中央区天神1丁目の天神様sign01
そう、福岡の天神という地名はこの神社からきているというわけです。
場所としては、市内の人ならわかる、アクロス福岡の前ですね。
それと、この神社の位置は福岡城からみて東北(鬼門の位置)に
あり、福岡城の守りとなっていることがわかります。

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菅原道真公を人間「菅原道真」として崇めて心の支えに
した上に、維新の原動力にしたのが高杉晋作でした。

それは後年の自分に重ね合わせたからでしょう。
功山寺決起の前に、「死んでも赤間が関の鬼となって」と
と言っていましたが、それも道真公を彷彿とさせます。


幕府の視察団に長州藩代表として上海に渡ったり
その翌年藩主から下関防御を任されたり、奥番頭として
藩政の中枢に関わった上160石を受けることになったりと
異例の出世をします。
ところが元治元年にある失敗から野山獄に投獄されました。
まさに妬まれて失脚させられた菅公のようですsweat02


野山獄では

「君見ずや死して忠鬼となる菅相公
 霊魂は尚存す天拝峰
 又見ずや石を懐にして流れに投ず
 楚の屈平」

で始まる漢詩を作っています。
天拝の峰は菅公の眠る太宰府の山。
また失脚して、石を抱いて投身自殺した楚の屈平、という風に
いずれも忠臣なのに讒言によって理不尽な最期を遂げた二人を
自分の身の上に重ね合わせているようです。

pencil 水鏡天満宮
   福岡市中央区天神1丁目15-4


雨上がりの夕方、通りかかりましたのでご紹介しました。

菅原道真が京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、
四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映した場所、
今泉(中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうの
てんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれました。
江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政に
よりこの地に移転されました。


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まだある秘話、そして福岡のパワースポット

ここのところずーっと雨です。
書いてる間に日付が変わってしまいましたcoldsweats01
29日は台風の影響で、福岡市内も運動会やら何やら色々中止。

私も実は、「天拝山に五卿の句碑を訪ねて」というハイキングに
参加する予定の日曜日でした。
前日主催者の方からキャンセルを伝えられたのですが、
このハイキングの内容、とても良かったのです。

筑紫野市の武蔵寺(ぶぞうじ)に10時集合。
それから天拝山の登山道あちこちにあるという
五卿や管公の句碑の解説して頂きながら登山。
そして、頂上にある高杉晋作の句碑shineを目指そうと
いうではないですかsign02

太宰府は菅原道真公が流されたところ。
天拝山は管公自ら、自身の身の潔白を京へ訴えかけるため
100日間毎日山頂へ登ったと言われています。


陰謀により遠く太宰府の地に流された管公の心情、
それは五卿の人たちも、野山獄に下った高杉晋作も
自身と重ね合わせていたようです。


さて、話かわって・・・

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この方は陶山一貫斎(すやま いっかんさい)という方です。
その子孫の方から、陶山家は当時、五卿のお世話をしていたと
聞きました。
高杉晋作の書簡なども預かり、秘密裏に五卿たちへの
橋渡しの役目をされていた方だそうです。


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確かに、太宰府天満宮の中にあるここ延寿王院で五卿さまたちは
暮らしていたのですが、ここに、高杉やら西郷やら龍馬やらが
訪ねてきたのでは、あまりにもおおっぴらすぎますよねsweat01
倒幕の相談をする密会が常に延寿王院で行われた、ということを
全面に信じるのはおかしい話でした!

つまり、地元の有力者たちが強力して、密会場所を提供したり
通信の取り持ちなどをしていたそうです。

このお話、今日のハイキングが実現されていたら
もっと詳しく聞けるはずでしたが、残念ですsweat02

また後日に開催予定ということで、その際に詳しくご紹介します。
中途半端なブログですが、台風一過の雨の夜のことでして
お許しくださーい o(_ _)o

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動けば雷電の如く、観てきました

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日付が変わってしまいましたが、21日(土)の夕刻、
はぐるま座福岡公演「動けば雷電の如く」ー高杉晋作と明治維新
革命ーに行ってきました。
場所は福岡市の少年科学文化会館です。

時折、雨がぱらつく蒸し暑い一日でしたが、舞台はとっても
熱かったですね〜sign01

役者さんたち、とても良かったです。
高杉さんはもちろん男前、白石正一郎さんは曾孫の白石さんに
なぜかよく似てました。
それと、女性ながら奇兵隊役の方たち、ほんとに素晴らしい
演技でした。

note男なら
お槍かついでお中間となって
ついていきたや下関
尊王攘夷ときくからは
女ながらも武士の妻
まさかの時には締めだすき
神功皇后さんからの雄々しき姿が
鏡じゃないかいな
オオシャーリ オオシャーリ note

劇中で歌われたこの歌で、高校時代の感覚が
一気に呼び戻されたり・・・
私たち、体育祭で踊ってたもんな〜

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公演終了後のロビーで、高杉さんと私の連れのクボタさん。

はぐるま座の高杉さんは、まるで福山・龍馬さんのように
超さわやかshineな好青年。
それはそれで見ていて清々しかったです。
しかし、反面どうしようもない性格をもつ高杉晋作という人に
ついて、さらに考えずにはいられなくなったsweat01
改めてそんな思いをした今宵のひとときでした。

はぐるま座の劇は長い歴史に裏打ちされた、
しっかりと練られた構成で飽きずに楽しめました。
これからも日本全国で公演されるそうです。
お近くで開催される時は、ぜひおでかけになってください。
そして私と同じように、高杉晋作という人の真面目さと優しさ、
そして「狂」というほどの激しさ・・・
その奥深い二面性について考えてみてほしいのです。


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