鹿児島

無題

久しぶりに宮崎から鹿児島への出張でした。
宮崎は新燃岳、鹿児島は桜島も灰が降ってました。

鹿児島は指宿に用事があったのですが、今回は知覧をまわって
頴娃(えい)に泊ることにしました。

 
頴娃・・・・・「えい」と読むんですよ。
お茶どころとして有名です。知覧(ちらん)の隣町で、知覧のほうが
お茶どころとして有名すぎて、あまり知られてません。
でも、私は頴娃茶が好きです。


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ビジネスホテルとかもないので、旅館に泊りましたが
今日25日の朝7時前、朝焼けの開聞岳が窓から見えました。

 
開聞岳(かいもんだけ) 写真の右端の山です。
円錐形の美しい形で、「さつま富士」と呼ばれてます。
観音様が寝ているカタチ、とも言われてるそう。

鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。
所在地は鹿児島県指宿市です。

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旅館で出されたお茶のゼリー

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紅茶とかコーヒーのゼリーはよくあるけど、
ありそうでなかった緑茶(頴娃茶)ゼリー
ほんのり甘くてシブくて、茶葉も少し入っていて・・・


宮崎の人は「(新燃岳の)灰をかぶっても、もういい」
鹿児島の人も「(東北とは一番離れた)鹿児島でも、心が傷む」
そう言われてます。

自然は抗う事の出来ない「怖さ」があるけど、
延々と続く茶畑や、海のはるか向うに浮かぶ開聞岳、
そして桜の花がもう5分咲き
今日はそんな穏やかな自然の姿に癒されました。

その思いで、被災地の方々に何か伝えることができたら、と
思い直しています。

イベントも多くが中止されていますが、4月14日は高杉晋作の
祥月命日。東行庵の東行忌に参加する予定です。
今年はいつもと違った供養祭となるでしょう。


今日、サイトでこれを知りました。
日本を励ましてくれる、世界からの祈りです。
pray for Japan

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薩摩の友人

12月2・3日と鹿児島出張でした。


鹿児島中央駅前の広場に「若き薩摩の群像」
というモニュメントがあります。

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なんか素敵な彫像ですが、近くによって見てみると
明治時代以降の人たちのようでした。
西郷や大久保といった革命家たちでなく、近代日本の建設に
貢献した薩摩出身の人たち・・・
唯一その名を知っているのが、「五代友厚(才助)」です。

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この彫像たちには名前がついてないんです。

この人でしょうか


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五代才助(その後友厚)

その人は、高杉晋作とともに上海に渡った人で、
高杉と五代はたいへん気が合い親友となったようです。

上海に渡った高杉晋作は、現地のイギリス人たちからヨーロッパの情報
などを得ていますが、その通訳をしてくれたのが五代才助でした。

五代さんは英語がかなり上手だったそうです。
1863年(文久3年)7月の薩英戦争の時に、イギリスの捕虜と
なって横浜へ連れ去られたのですが、この時出会ったのが、
トーマス・グラバー氏。

薩英講和のためグラバーと協力して事にあたっている間に、
五代とグラバーはすっかり親密になりました。

それで、グラバーが長崎を拠点にして大量の兵器や艦船を薩摩に
売り込むことができ、またその延長で長州との武器や軍艦の取引に
至ったようです。

高杉は早死にしましたが、五代さんは大阪造幣局を設立したり、
大阪商工会議所の初代会頭を務めるなど近代日本の創設に大いに
貢献されたようですね。
「長州は独立して、列強と肩を並べたい」という意志をもっていた
高杉ですから、長生きしていたら同じような道でまたいいライバルに
なっていたかもしれません。


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