幕末・動乱の山口政事堂
今日は、本当に久しぶりに山口市に行きました。
ちょうどやまぐち国体が開催中ですが、変わらず静かな町です。
山口政事堂の門を見に、県庁に行きました。
激動の時代、高杉晋作も政務座役として颯爽と通ったことでしょう。
山口県庁の敷地内にありまして、すぐわかりますよ。
そんなに意匠を凝らしてないのが、やはり急ごしらえだったという
ことでしょうか
続いて、湯田温泉街のほうに行きまして
「史跡旅館・松田屋ホテル」です。
以前から、幕末の史料があるということでしたが、
なかなか敷居が高い感じ。でも思い切って入ってみることに。
この門をくぐると、玄関が見えます。
そして、右側に背の高い「楓」の木があります。
ふと、何気に目にとびこんできたのは
高杉晋作憂国の楓あと なにそれ〜
この松田屋さんのHPを見てみてください。
「そういうこと!」
松田屋さんはもちろん、幕末時には坂本龍馬が滞在したり
都落ちしてこられた七卿様が遊びにこられたり、色々な
史話があるようです。
また、この周辺がまさに幕末志士たちの御用達の旅館や料亭が
並んでいたところ・・・
という所や、またこんなところも!
さて、山口市でぜひ行ってみたかったところが「ここ」です。
小説でも出てきますが、それがどんな場所だったか
元治元年、9月25日の夜のこと。井上聞多が襲撃された事件です。
山口政事堂で君前会議が終わり、兄の屋敷がある湯田に帰ろうとして
袖解橋(そでときばし)付近で数人の刺客に襲われました。
全身をなますのように斬られたという事件で、下手人は
左幕派のテロリストでした。
全身血みどろになりながら意識が薄れる中で、介錯を求めた井上でしたが
そのとき「まだ生きている者を何故殺す!」というお母様の一言で
全身50針を縫うという手術で奇跡の生還を果たしました。
道具がないため、布団針でその手術を行ったのが、美濃から流れてきた
外科医出身の所郁太郎でした。
ちゃんとした道具もなく緊急手術で、する方も、麻酔なしでされる方も
本当にすごい話です。もうびっくりです。
井上聞多、本当に運がついているとしかいいようがないです。
この人、所郁太郎さん。
碑を読んでみると、この方も早く亡くなってますね。
そんな偉業を果たしたのに、お気の毒なことです。
これは井上邸の跡地「高田公園」にある碑です。
ホテルニュータナカの裏にありました。
この公園の中に井上馨像や七卿の碑、そして新しいところでは
中原中也詩碑などもあります。
井上聞多から、侯爵になった井上馨さんの像。
「井上家の手水鉢」などという、お屋敷の名残のものもあります。
井上聞多が襲われた同じ夜、周布政之助が自刃し、
高杉自身も、身に危険が迫っているのがわかっていました。
なので役職を自ら辞して自宅に謹慎します。
そして10月26日に萩を出て山口のここ、井上聞多を見舞い
下関の白石正一郎を訪ね、それから九州に亡命するのです。
公園の中で一番立派なのは、なぜか七卿の記念碑でした。
ホテルとのコントラストがおもしろいのですが、もうかなり傷んでて
文字もよく見えないのが残念です。
七卿たちは、湯田では井上家でお世話になっていたそう
この界隈はなかなかおもしろいものでした。
今日は仕事の合間にまわったのですが、近いために効率的に見ていく
ことができました。
そして、イベントにも参加してきましたのでご紹介しておきます。
山口県立美術館で開催中の「防府天満宮展」
菅原道真の縁起絵巻、すばらしいものでした。
高杉晋作が天満宮に奉納した扇面の都々逸もあります。
会期は11月6日(日)までです。
山口県立山口博物館では「薩長連合と木戸孝允」
孝允の肖像画や漢詩書、遺品など、木戸家からこちらに
寄贈されたものの特別展です。
会期は11月13日(日)までです。
幾松(後の松子夫人)と小五郎の錦絵とかもありました。
この絵でもめちゃ可愛いですが、祇園の芸子だった幾松が
桂さんを訪ねて下関に来た時、そのあまりの垢抜けた美しさで
町中の人が驚いたという話が残っています
どちらもおすすめです。ぜひお出かけしてみてください。
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